御笠郡(読み)みかさぐん

日本歴史地名大系 「御笠郡」の解説

御笠郡
みかさぐん

筑前国の中央部南端に位置し、東は穂波ほなみ郡・夜須やす郡、南は筑後国御原みはら郡、肥前国基肄きい郡、西は那珂なか郡、北は席田むしろだ郡・糟屋かすや郡に接する。郡名を負う御笠川は現太宰府市東部の宝満ほうまん山に源を発し、同市を横断して福岡平野を北西に向かって流れ博多湾に注ぐ。近世の郡域はおよそ大野城市・太宰府市・筑紫野ちくしの市に相当する。

〔古代〕

「延喜式」民部上、「和名抄」諸本に御笠とみえ、文字の異同はない。同書東急本・元和古活字本の訓「美加佐」から「みかさ」と読む。大宰府ならびに筑前国府が置かれ、大野おおの城・水城・安楽寺(太宰府天満宮)観世音寺・筑前国分寺・筑前国分尼寺(現太宰府市)四王しおう(大野山寺、現宇美町)なども当郡に所在した。「御笠郡印」が「次田郷印」とともに天理大学附属天理図書館に伝来している。郡名の由来について、「日本書紀神功皇后摂政前紀・仲哀天皇九年三月一七日条に、羽白熊鷲を討つため神功皇后が「橿日宮(現福岡市東区の香椎宮付近に比定)から「松峡宮」に移る途中、旋風により笠が吹飛ばされたので、そこを「御笠」と名付けたという伝承が載るが、「続日本紀」和銅二年(七〇九)六月二〇日条にみえる「筑前国御笠郡大領正七位下宗形部堅牛」に益城連を賜姓した記事が郡名の初見である。同二年一〇月二五日の水陸田目録案(保安元年六月二八日観世音寺公験案「大宝四年縁起」大東急記念文庫蔵)に、観世音寺の田四〇町が御笠郡にある旨が記される。延喜五年観世音寺資財帳の水田章に墾田として御笠郡五町三段一五〇歩の条里坪付が記されるが、これは「筑前国大目正六位上佐伯連春継加一切経奉入如件」とあるので、前掲水陸田目録案にみえる御笠郡の田とは別である。前掲資財帳の山章には「御笠郡 大野城山壱処」の四至が記される。「和名抄」などは筑前国府の所在を当郡とするが、現太宰府市通古賀とおのこが五丁目の王城おうぎ神社付近とする説、「遠賀団印」(東京国立博物館蔵)が出土した太宰府市観世音寺かんぜおんじ三丁目の水城みずき小学校付近とする説があり、現在も確定していない。軍団に関して太宰府市坂本さかもと三丁目で「御笠団印」(同館蔵)が発見されており、大宰府史跡出土木簡(大宰府概報一)にも「御笠団」がみえる。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条、高山寺本「和名抄」駅名にみえる長丘ながおか(駅馬数五疋)、「万葉集」巻四・巻八に登場する蘆城あしき駅が所在し、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条によれば御笠郡に伝馬一五疋が、大宰府に兵馬二〇疋がそれぞれ配置されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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