安楽寺領注進状(読み)あんらくじりようちゆうしんじよう

日本歴史地名大系 「安楽寺領注進状」の解説

安楽寺領注進状
あんらくじりようちゆうしんじよう

写本 太宰府天満宮・伊藤家など

解説 前欠のため名称は仮題。観応三年二月日に書写された筑前筑後豊前豊後肥前肥後薩摩・大隅・日向・壱岐にわたる安楽寺(太宰府天満宮)領を注進した文書の案文。各国の記載は基本的に(一)一円領、(二)半不輸領、(三)「雖為当宮根本御領、地頭御家人甲乙輩令押領所」、(四)将軍家寄進地、(五)「当御代」(足利直冬)寄進地に分けられその分布は筑前を中心に筑後・肥前が多く、対馬以外の九州一〇ヵ国にわたっている一方、九州以外には所領を見いだせない。南北朝時代は九州が三者(鎮西管領一色道猷・直氏、征西将軍宮懐良親王、足利直冬)鼎立状態にあったことによるためか、押領されている所領が非常に多く、とくに筑前以外にこの傾向が顕著である。

活字本 「南北朝遺文」九州編第三巻、「大宰府・太宰府天満宮史料」巻一一などに収録される。前欠で錯簡もあるが、伊藤家文書によって復元したものが「太宰府市史」中世資料編に収録されており、伊藤家文書の冒頭には「天満宮安楽寺御領一円半不輸庄々灯油田等目録」との標題がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報