日本大百科全書(ニッポニカ) 「安養寺瓦経塚」の意味・わかりやすい解説
安養寺瓦経塚
あんようじがきょうづか
岡山県倉敷市浅原の安養寺裏山にある平安時代後期の瓦経塚。1937年(昭和12)偶然発見された。『法華経(ほけきょう)』(206枚)、『心経(しんぎょう)』(1枚)、図像瓦(ずぞうがわら)(5枚)と題箋(だいせん)、陶製宝塔は、完全な瓦経資料として珍しく、国の重要文化財に指定された。その出土地点に接して、1958年(昭和33)には別の瓦経塚が発掘され、瓦経の埋納状態が初めて判明した。1.5メートル×1メートルの土壙(どこう)内に、7列上下2段に瓦経を立て並べていたが、瓦の焼きが不十分であったため元の粘土に戻り、互いに接着して粘土塊となっていた。これをそのまま倉敷考古館に運び、1年がかりで1枚ずつ剥(はが)し、筆で洗って解読した結果、『法華経』『仁王(にんのう)経』『薬師(やくし)経』など10種に及ぶ経典と応徳(おうとく)3年(1086)の年号を刻んだ願文(がんもん)などが明らかとなり、瓦経塚研究の重要な手掛りを得た。
[間壁忠彦]