仏教の寺院において,門の左右に安置される2体の力士形の尊像に対する総称で,二王尊,二天王,二天などとも呼ばれ,二王とも書く。大多数の作例は上半身が裸形の像であるが,古い時代の作例には鎧(よろい)を着けた武将像もある。伽藍と仏の守護神であり,外敵を威嚇する身振りと表情を表し,一般的には正面から見て右側の像は左手に金剛杵(こんごうしよ)を持ち一喝するように口を開け,左側の像は右手の指を開き怒気を帯びて口を結ぶ。2像を区別するとき口を開ける像を阿形(あぎよう)の像,口を結ぶ像を吽形(うんぎよう)の像という。また各像の名称について,一方を金剛力士,他方を密迹金剛(みつしやくこんごう)とする説,一方を密迹金剛,他方を那羅延(ならえん)とする説,一方を金剛,他方を力士とする説,両方とも金剛力士と呼ぶ説など諸説があるが,どの説も優勢となるには至っていない。仁王は神聖な寺域の正式の入口の左右に,門衛のように安置される2尊であるから〈二王〉の呼称も生まれたが,仏法守護に2神を配置することは中国において盛んに行われたと推測されている。〈大宝積経〉には,金剛杵を手にして釈尊の活動を守る,密迹という名の金剛力士が説かれ,インドの彫刻にも金剛杵を持つ力士が釈尊の脇に表現される例があるので,仁王(二王)は別体の2神として存在するのではなく,本来1尊である密迹金剛力士を寺門という建造物の形式に合わせ,2体の分身に分けて表現するに至ったのではないかとの推測がなされている。阿形の仁王像も金剛杵を持ち,密迹金剛力士の当初の性格を示す。
金剛杵を持つ尊像に執金剛神(しゆうこんごうじん)/(しゆこんごうしん)があるが,これも金剛力士,密迹力士,密迹金剛力士などの称があり,金剛杵を執ってつねに釈尊を守る神であるから,仁王の本来の尊像と同一のものである。中国の竜門や雲岡の諸像の中に鎧を着た武将像として表現され,日本の古代の作例の中にも東大寺三月堂の須弥壇上にある乾漆造仁王像(奈良時代)や法隆寺蔵橘夫人厨子扉絵の像,東大寺三月堂の執金剛神像(奈良時代)は鎧で武装した像であり,中国の像の形式を伝えるものといえる。大多数の仁王像は筋骨たくましい裸形の力士像であるが,その中では法隆寺中門像(711),東大寺南大門像(鎌倉時代。運慶,快慶等の作),興福寺像(鎌倉時代)などが優れた作例である。
執筆者:関口 正之
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狂言の曲名。雑狂言。賭(か)け事に負け無一文になった博打(ばくち)打ち(シテ)が、国元を出奔する前に知り合いのところに寄ると、事情を聞いた知人は、博打打ちを仁王に仕立て参詣(さんけい)人から供え物をとる知恵を授ける。そして仁王の扮装(ふんそう)をさせ上野に立たせると、知人は大ぜいの参詣人を連れてき、まず「さくら」になって刀を供えて願い事をする。それにつられた参詣人たちは着物や金銭などを次々に供え、願をかけて帰っていく。上々の首尾に調子にのった博打打ちが、もうひと稼ぎと待ち受けているところに、足の悪い男が登場して、仁王の御利益(ごりやく)にすがって治そうと、仁王の身体をなで回すうち、仁王が動くので偽者と気づき、追い込む。博打打ちが目をむき口をかっと開いた「仁王立ち」の姿や、参詣人たちの当意即妙の願い事などが理屈抜きに楽しい作品。
[油谷光雄]
仏法を守護する神として、寺門などに左右一対(いっつい)で安置された金剛力士(こんごうりきし)の像をいう。二王とも書く。執金剛神(しゅうこんごうしん)と同じ神格で、中国の唐代から一対形式になったと考えられる。その形像は、ともに赤色の身に朱目の憤怒(ふんぬ)相をし、甲冑(かっちゅう)を着て金剛杵(こんごうしょ)を持つが、普通は裸形のものが多く、向かって右方は口を開いた阿形(あぎょう)の像(阿像)、左方は口を閉じた吽形(うんぎょう)の像(吽像)で、前者を金剛像、後者を力士像と称することもあるが明らかではない。また、密迹(みっしゃく)金剛(阿像)と那羅延(ならえん)金剛(吽像)とに分けて、別尊のように称することもある。東大寺南大門の金剛力士立像は有名。
[江口正尊]
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