日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝山寺(中国)」の意味・わかりやすい解説
宝山寺(中国)
ほうざんじ
中国、河南(かなん/ホーナン)省彰徳の西、宝山にある寺。石窟(せっくつ)で有名である。546年(東魏(ぎ)の武定4)地論(じろん)宗祖光統律師の高弟道憑(どうひょう)が開削した石窟寺院で、のちに霊泉寺(れいせんじ)と称した。石窟は南北2洞あり、南の大留窟(だいりゅうくつ)(硃砂(しゅさ)洞)は道憑の開削で、東魏様式の釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)・弥勒(みろく)の三尊像がある。北の大住窟(響堂(きょうどう)洞)は、弟子の霊裕(れいゆう)が北周の武帝の排仏ののち、589年(隋(ずい)の開皇9)新たに釈迦三尊像を開削したものである。両窟の名は、霊裕が那羅延天(ならえんてん)の金剛性力による正法留住を祈願したものといい、窟内には護法の諸天善神を刻し、『法華経(ほけきょう)』寿量品(じゅりょうぼん)、『大集経(だいじっきょう)』月蔵分法滅尽品、『涅槃経(ねはんぎょう)』の雪山童子捨身求法無常偈(せっさんどうじしゃしんぐほうむじょうげ)の文などを刻む。
[里道徳雄]