コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

釈迦 しゃか Śākya

12件 の用語解説(釈迦の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

釈迦
しゃか
Śākya

[生]前463頃.カピラバストゥルンビニ
[没]前383頃.クシナガラ
仏教の開祖。釈迦牟尼 (むに) ともいう。釈迦は種族名 Śākyaの,牟尼は聖者を意味する muniの音写。釈尊は釈迦牟尼世尊の略称と考えられる。シャカ族の国王浄飯王を父とし,摩耶夫人を母とし,姓をゴータマ Gotama (瞿曇〈くどん〉) ,名をシッダールタ Siddhārtha (悉達,悉陀) という。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

さか【釈迦】

しゃか」の直音表記
「―の御足跡(みあと)石(いは)に写しおき敬ひて」〈仏足石歌

しゃか【釈迦】

《〈梵〉Śākyaの音写》
釈迦牟尼(むに)のこと。

古代インド、現在のネパール地方に住んでいた種族。釈迦の出た種族。シャーキャ族。釈迦族。
能面の一。仏を表す金泥塗りの大きな面。喜多流の「大会(だいえ)」で、大癋見(おおべしみ)の上に重ねて用いる。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

釈迦【しゃか】

仏教の開祖。生没年には諸説あって定めがたいが,前565年―前486年説,前465年―前386年説などが有力。サンスクリットのシャーキャの音写。釈迦はもと北インドの一部族の名であるが,その部族出身の仏陀(ぶっだ)という意味で現在は広く使用されている。
→関連項目応身大谷磨崖仏ジャータカ舎利善円大日如来誕生仏道釈画兜率天涅槃会花祭(仏教)パーリ語普賢仏身仏像法(仏教)法輪菩薩ボダイジュ(菩提樹)ボードガヤーマハーバンサ弥勒文殊ルンビニー論義

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

釈迦 しゃか

?-? 織豊時代の蒔絵(まきえ)師。
京都朱雀(すざく)あたりにすみ,提婆(だいば)とならぶ名工といわれた。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

とっさの日本語便利帳の解説

釈迦

過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやって来ない。だから現在のことがらを、それがあるところにおいて観察し、揺るぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。\『中部経典』
釈迦(前四六三頃~三八三)のことば

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

防府市歴史用語集の解説

釈迦

 仏教を開いた人です。インドの小国に生まれ、29歳で出家した後に、35歳で悟りを開き、80歳で亡くなるまで人々に教えを説いてまわったと言われています。

出典|ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉プラスの解説

釈迦

1961年公開の日本映画。監督:三隅研次、脚本:八尋不二、撮影:今井ひろし、美術:内藤昭、照明:岡本健一、録音:大角正夫。出演:本郷功次郎、チエリト・ソリス、勝新太郎川崎敬三、川口浩、小林勝彦、市川雷蔵ほか。第16回毎日映画コンクール録音賞受賞。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

しゃか【釈迦】

仏教の開祖。釈迦はサンスクリット語シャーキャムニŚākyamuniの音訳,釈迦牟尼(むに)(〈釈迦族の聖者〉)の略。釈尊(しやくそん)は釈迦牟尼世尊(せそん)(尊称)の略。釈迦は歴史的実在の人物であり,その人種的帰属(モンゴル系かアーリヤ系か)や死没年(前483年,前383年など,南方仏教圏では前543年)は学問上の問題として論じられている(釈迦が80歳で死去したことは定説とされる)。 インド・ネパール国境沿いの小国カピラバストゥKapilavastuを支配していた釈迦(シャーキャ)族の王シュッドーダナŚuddhodana(浄飯(じようぼん)王)とその妃マーヤーMāyā(麻耶)の子としてルンビニー園で生まれた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

しゃか【釈迦】

紀元前七~六世紀頃、ヒマラヤ山麓ネパールに居住していた部族。釈迦も釈迦族の出身。
○ 仏教の開祖。世界四聖の一人。姓はゴータマ、名はシッタルタ。中部ネパールの釈迦族の中心地迦毘羅かびら城に浄飯王じようぼんのうの子として生まれる。母は摩耶夫人まやぶにん。二九歳で出家、三五歳で悟りを得た。のち鹿野園ろくやおんで五人の修行者を教化し(仏教教団の成立)、以後八〇歳で入滅にゆうめつするまで教化の旅を続けた。教説は四諦したい・八正道はつしようどう・十二縁起などでまとめられる。生没年は紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。釈迦牟尼しやかむに。釈尊。釈迦如来。
[句項目]

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本の地名がわかる事典の解説

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

釈迦
しゃか

生没年不詳。紀元前463―前383年説と、前565―前485年説がある(後述参照)。仏教の創始者。[三枝充悳]

出身

ネパール南部がインド大平原に連なるあたりに位置したカピラ城を中心に、サーキヤSkiya, kya人の小国があり、その国王の浄飯王(じょうばんのう)uddhodanaの長子として、生まれた。釈迦の呼称はこの種族名に由来し、尊称して釈迦牟尼(むに)(ムニmuniは聖者)とよばれ、釈尊と漢訳する。姓はゴータマGotama, Gautama(瞿曇(くどん)と音写)、名はシッダッタSiddhattha、シッダールタSiddhrtha(悉達多(しっだるた)と音写)という。多くは、覚者(悟った人)を表す普通名詞を固有名詞化して、仏陀(ブッダBuddha)または仏とよばれ、これが転訛(てんか)して日本では「ほとけ」となる。さらに如来(にょらい)(タターガタTathgata、真理の完成者)や勝者(しょうじゃ)(ジナGina)その他、多数の名でよばれ、これを名号(みょうごう)と称する。
 80年の生涯は確実とされる一方、没年に関しては仏滅年代論が現在も盛んであり、次の3種がある。南方には11世紀ごろからの伝説により前654年仏滅説が普及しているが、学問的には、前485年ごろと前383年ごろの2説が有力である。ともに学者により数年の差はある。前485年説はスリランカの史書によるものと、後490年に中国に伝来した年代記によるものとあり、前383年説はより古く中国で訳された二つの論書などに基づいている。おおむね欧米を含む外国の学者は前者を、日本の学者の大半は後者をとる。なお釈迦の生存年によって、同時代の思想家およびそれ以前の諸文献の年代がほぼ決定される。
 サーキヤ人は、あるいはネパール系、したがってモンゴル系人種かとの推測もあるが、当時すでに圧倒的なインド・アーリア文化の領域内にあったことは、疑う余地がない。
 19世紀には啓蒙(けいもう)思想などの影響から釈迦の実在が疑われ、天文学の諸説や太陽神話から、釈迦の伝記を説明する学者もいた。そのさなかの1898年に、ネパールの南境で一つの蝋石壺(ろうせきつぼ)が発掘され、その表面に刻まれた前3世紀以前の文は、「これは釈迦族の仏、世尊の遺骨の器で、名誉ある兄弟姉妹妻子たちの(奉納)」と解読された。これは原始経典の記載と一致し、古い伝承がここに確証された。そのほか、1896年に発見されたアショカ王碑文は釈迦の誕生地ルンビニーを裏づけ、のちにほかの骨壺の発掘もあり、釈迦の実在は不動となった。
 今日の文献学を総合すると、最古の経典の骨格は、釈迦の孫弟子のころの成立とされる。すなわち釈迦入滅の直後に仏弟子が集まり、釈迦の言行を編集(これを第一結集(けつじゅう)という)して、それが口誦(くじゅ)により伝承され、また拡大する。時代の経過と諸地方への伝播(でんぱ)の間に、誤りや粉飾が混入し、また増広や変更などが加わる。とくに釈迦への思慕・尊崇・信仰が強まって、釈迦を神秘化しさらに空想化し、ときに雑多な要素が付加され、また教説も後の発展成果と入り交じる。現在伝わる初期経典はすべて、釈迦没後100年ないし200年ごろに教団が保守派の上座(じょうざ)部と進歩派の大衆(だいしゅ)部とに分裂し、さらにその後の細分裂の末に成立した20余の部派のうち、いくつかの部派において確定したものであり、釈迦の直接の教え(金口(こんく)の説法)を取り出すことは至難とされる。釈迦はマガダ語で語ったと推定され、それがマガダ語に近いパーリ語と、標準語のサンスクリット語とに置き換えられ、後者から他の俗語(たとえばガンダーラ語など)に、また多くが漢訳され、一部はチベット語訳されたほか、少数ながら古語の写本の断片が諸地域で発見されている。マガダ語はパーリ語文献に少数その語形を残すのみで、マガダ語のまとまったテクストは現存しない。この初期経典群はアーガマgama(伝来)とよばれ、漢訳は「阿含(あごん)」と音写する。それには四つの阿含経があり、また一部のみの単訳も多い。パーリ語資料はニカーヤNikya(部)と名づけ、四つのニカーヤが四阿含経とほぼ対応するが、第五のニカーヤ(小部と称する)に含まれる韻文経典こそ最古の資料とみなす傾向が、今日の学界では定説化している。[三枝充悳]

出家と成道

アーガマには釈迦の伝記(仏伝)への関心はきわめて薄く、やがて、そのなかの断片的な釈迦の回想などを資料としつつ、インド人独自の優れた想像性のもとで仏伝が創作され、その種類も増える。今日伝わる仏伝はすべてそれらに基づく。
 釈迦は生後7日に母のマーヤーMy(摩耶夫人(まやぶにん))に死に別れ、以後は亡母の妹すなわち叔母に育てられた。王子としての教養を積み生活は恵まれていたものの内向しがちであった。当時の風習により16歳で結婚し、のち男子(ラーフラRhul、羅(らごら))をもうける。しかし富裕と安逸な日常のうちに、青年期を過ぎた釈迦は、人生の根源に潜む苦の問題に思いを深め、それに沈潜するなかで、苦の本質の追究とその解放である解脱(げだつ)を目ざすようになる。
 29歳に達し、その徹底的な解決を求め、ついにいっさいを放棄して、城を脱出し、遠くに南下して出家する。ガンジス川辺に当時の有名な仙人二人(アーラーラ・カーラーマlra Klmaとウッダカ・ラーマプッタUddaka Rmaputta)を相次いで訪ねて、その禅定(ぜんじょう)を学ぶ。しかしなお意を満たしえず、やがてガヤーの地に赴き、付近の山林にこもって出家者にふさわしい苦行に専念する。その苦行は激烈を極め、極度の断食のために身体は骸骨(がいこつ)に似ても、なおそれを休まなかった。苦行は6年(別説7年)間続くが、かえって精神はもうろうとなり、初志から遠ざかってしまうことを自覚して、それを放棄する。山林を出て川で身を浄(きよ)め、村の少女から乳粥(ちちがゆ)を受けて体力の回復を待ち、ブッダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)の下に座って、ひたすら思索にふけった。
 途中に悪魔の誘惑などもあったが、釈迦はただいちずに冥想(めいそう)に集注し、ついに大いなる悟りが開けて、ここに成道(じょうどう)は完成し、ブッダすなわち「悟った人(覚者)」となった。その後しばらく悟りの醍醐味(だいごみ)に浸り、長いためらいののちに、説法を決意する。その内心の動きは、悪魔や魔女の誘惑や梵天(ぼんてん)の切なる説法要請(勧請(かんじょう))という戯曲的表現で示されている。[三枝充悳]

説法

釈迦は、ベナレス(ワーラーナシ)北方のサールナートにあるミガダーヤ(鹿野苑(ろくやおん))に、かつて苦行をともにした五人の出家者を訪ねて、最初にその教えを説いた。そして彼らは教化されて仏弟子となる(初転法輪(しょてんぼうりん)という)。サンガ(僧伽(そうぎゃ))とよばれる教団はここに始まる。これを契機に、釈迦は請われるままに一般の人々にも広く呼びかけ、彼らのさまざまな問いに懇切に答えて、説法教化の旅が続けられた。その範囲は、東の王舎(おうしゃ)城と西の舎衛(しゃえ)城あたりを軸とする300キロメートル以上のほぼ楕円(だえん)形の中インド一帯に及ぶ。前者の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)と後者の祇園(ぎおん)精舎とに、夏のモンスーン期を過ごすほかは、生涯はほぼ遊行(ゆぎょう)の旅にあった。その間に仏弟子も信者もしだいに増加し、経典では仏弟子1250人とするものの、実数はそれを超えたらしい。ただし釈迦自身にとくに自説の伝道や教団設立の意図があったとは認めがたく、むしろ民衆の苦の解決にただ歩き回り、新宗教を喧伝(けんでん)するのではなく、巡歴の間に人々の求めに応じたさまが、諸経典の記述から明らかに知られうる。[三枝充悳]

入滅

釈迦は酷熱のインド各地に成道以後の45年間も教えを説いて回った。その後半の25年間はいとこにあたるアーナンダnanda(阿難(あなん))が随伴したが、ついにクシナガラの郊外の2本のサーラ樹(沙羅双樹(さらそうじゅ))の下で入滅する。ときに80歳。その最後の旅における情況は一つの経にまとめられ、そのなかに数々の遺言が残されている。そのおもなものを記す。「わたしには握りこぶしはない、すべてをことごとく説き示した」「法を見るものはわたしを見る。わたしを見るものは法を見る」「わたしの死後は、わたしの説いた法と戒とが汝(なんじ)たちの師となる」「自己を灯明(または島)とし自己をよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を灯明とし法をよりどころとして、他のものをよりどころとするなかれ」「法と戒とに精励するものは、生の流転(るてん)を捨てて苦の終滅をもたらすであろう」といい、そして「諸現象(諸行(しょぎょう))は滅び行くものである。怠ることなく精進せよ」が最後のことばとなった。まことに静かな入滅であり、その一生には、他の諸宗教の創始者や聖者などにみられるような迫害や弾圧はまったくない。入滅後、釈迦は付近の民衆により火葬され、その遺骨(仏舎利(ぶっしゃり)という)は諸王たちに分配され、8か所に祀(まつ)られ、ストゥーパ(塔)が建てられた。[三枝充悳]

教え

前述のとおり、釈迦の直接の説は確定しがたい。以下(1)~(11)に記す原始仏教の教説の諸項目の原型ないし核を、釈迦に求めるのがふさわしいであろう。同時にまた釈迦は卑近なたとえなどで、そのつど臨機応変のもっとも適した教えを説いた(対機(たいき)説法という)とされている。
(1)現実の直視、それによる多様性の承認、それは寛容につながる。
(2)心を平静にし、主体的な自己の確立を求める。しかし我執(がしゅう)と自己中心とはすべて捨てる。
(3)いっさいの平等。当時すでに有力なカースト制度を否認し、生まれではなくて、個人の実践のみを尊ぶ。
(4)ひたすら実践を目ざし、議論の優劣を争わず、とくに形而上(けいじじょう)学的な問いに答えず加わらない(無記とよぶ)。
(5)可能な限り普遍的な法を中心とする。
(6)三法印(さんぼういん)(一切皆苦(いっさいかいく)、諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)。のち涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)を加え、やがて一切皆苦を除く)。
(7)苦集(くじゅう)滅道の四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)(正見・正思・正語・正業・正命(しょうみょう)・正精進・正念・正定(じょう))。
(8)五蘊(ごうん)(法の分類で、色(しき)・受・想・行(ぎょう)・識の五つの集まり)。
(9)六入(法の分類で、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つの器官、それに対応して色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法の六つの対象)。
(10)縁起(えんぎ)(すべては他との関係においてあり成立し生じ滅する。そのもっとも整備された語が十二因縁(いんねん))。
(11)ニルバーナnirva(涅槃、限りない安らぎ)こそが解脱・悟りの境地であり、釈迦はそれに到達し、その生き方は仏教徒の理想のあり方、目ざす彼岸(ひがん)とされる。
 なお釈迦の生きた時代は、インドで自由思想家が輩出し、またそれを支える社会的地盤のあったことを銘記する要があろう。[三枝充悳]
『渡辺照宏著『新釈尊伝』(1966・大法輪閣/ちくま学芸文庫) ▽『ゴータマ・ブッダ』(『中村元選集11』1969・春秋社) ▽三枝充悳著『初期仏教の思想』(1978・東洋哲学研究所/上中下・第三文明社・レグルス文庫) ▽原田三夫著『釈迦回帰の仏教物語――やさしい仏教小事典』(1991・東明社) ▽菅沼晃著『釈迦のことば』新装版(1994・雄山閣出版) ▽松原哲明著『よくわかるブッダ――釈迦80年の生涯』(2001・チクマ秀版社) ▽中村晋也著『釈迦と十人の弟子たち』(2003・河出書房新社) ▽西村公朝著『釈迦と十大弟子』(2004・新潮社) ▽宮元啓一著『ブッダ――伝統的釈迦像の虚構と真実』(光文社文庫) ▽Hermann Oldenberg Buddha, sein Leben, seine Lehre, seine Gemeinde (1961, Mnchen)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の釈迦の言及

【灌仏会】より

…仏教の年中行事の一つ。釈迦が誕生したといわれる4月8日,すべての仏寺で行われる法会であり,日本では花御堂の中央におく水盤の中で,小さい金銅の誕生仏の像の頭上に甘茶を灌(そそ)ぐ祭りをいう。古くは,仏生会(ぶつしようえ),仏誕,降誕会,浴仏斎,竜華会(りゆうげえ)などの名があるが,今では,民族のちがいを超えて国際化し,世界各地の仏教徒がこれに参加する。…

【サラソウジュ(沙羅双樹)】より

…フタバガキ科の落葉高木で,マメ科のムユウジュ(無憂樹)およびクワ科のボダイジュ(菩提樹,インドボダイジュ)とともに仏教の三大聖木とされる。原産地のインドではサルsal,その漢名を沙羅といい,釈迦がクシナガラで涅槃(ねはん)に入ったとき,その四方にこの木が2本ずつ生えていたという伝説から,沙羅双樹という。沙羅は娑羅とも書き,サンスクリット語シャーラśalaの音写で,堅固樹の意である。…

【ジャータカ】より

…広くインドの民話に題材を求めた,釈迦の過去世物語。説話文学としても価値が高い。…

【初期仏教】より

…釈迦によって創始され,彼の滅後直弟子たちが発展させた初期の仏教をいう。通常用いられる原始仏教という時代区分より,やや狭義のニュアンスがあるように思われる。…

【ストゥーパ】より

…釈迦の遺骨を納めた聖建造物。パーリ語でトゥーパthūpa,中国や日本では窣堵波,卒塔婆(そとば),塔婆,塔,浮図(ふと)などといい,スリランカではダーガバdāgaba(遺骨を納める所を意味するdhātugabbhaの転訛)とも呼ぶ。…

【説一切有部】より

…まだ肉体が存する阿羅漢の境地は肉体的苦痛が存するので不完全とみなし,有余依涅槃と呼び,阿羅漢の死後を完全な涅槃とみて,無余依涅槃と称した。また釈迦(仏陀)は格段に優れた人格者とみなし,一般修行者は決して仏陀の境地には達せず,阿羅漢までしかなれないという思想を有していた。 有部は釈迦の教説を忠実に正確に解釈しようと努めたが,その結果は出家中心主義となり,煩瑣にして膨大な体系は一般人の近づき難いものとなって,大乗仏教の興起をうながしたが,同時代および後のインド仏教に量り知れない大きな影響を与えたのである。…

【祖師】より

…一宗一派の開祖,学統や流派の元祖をいう。日本の仏教では,釈迦は釈迦三尊像などであらわされるように大乗仏教の仏として説かれ,仏教の開祖としての釈迦について教えられることは少なかった。また,仏教が長期にわたって断続的に伝えられたために,宗派性が強調されることが多く,釈迦よりも宗祖や日本仏教の開祖としての聖徳太子が賛仰の対象になることが多かった。…

【肉】より

…《スッタニパータ》《マッジマニカーヤ(中阿含(ちゆうあごん)経)》《ディーガニカーヤ(長阿含(じようあごん)経)》などに,肉身が不浄でいとうべきものであることが詳しく述べられている。頭頂部に烏瑟(うしつ)といって,髻(もとどり)のように肉が盛り上がっているような,常人とは隔絶した三十二相を持つ釈迦の肉身といえども,腐敗の運命を免れない。たいせつなのは心であり法である。…

【バイシャーリー】より

…現在その遺址はガンガー(ガンジス)川を隔てたパトナーの北方約30kmのバサールBasarh村に比定されている。釈迦在世当時(前5~前4世紀)には共和政をしいていた。やがてマガダ国の支配下に属し,グプタ朝に至るまで商業都市として栄えた。…

【腹】より

…ヒンドゥーの神インドラは,通常分娩(ぶんべん)を願う母の願いを拒否してわき腹から生まれ出た(《リグ・ベーダ》)。釈迦は母の摩耶夫人(まやぶにん)が無憂樹の枝を折ろうと右手をあげたときに右のわき腹から生まれた(《今昔物語集》天竺部)。これをまねてか,《神仙伝》は老子が胎内に72年(《芸文類聚》では81年)いた後に,母の左わき腹から生まれたとする説を述べている。…

【不可知論】より

…また,宗教実践上の観点から,さまざまな世界のものごとについての判断は無用である,ないしそのような判断を停止したほうが心の平安が得られるとする考えも有力であった。例えば,〈鰻のようにぬらぬらとしてとらえがたい議論〉を用いたサンジャヤ・ベーラッティプッタ,来世の存在などの形而上学的な問題に答えなかった釈迦などはそうした考えの持主であった。【宮元 啓一】。…

【普賢】より

…《華厳経》には十大願(諸仏を敬わん,など)をたてたこと(普賢行願品),善財童子に自らの過去の修行を述べて彼を激励したこと(入法界品)が述べられ,《法華経》では六牙の白象に乗って法華経の信仰者を守護しにやってくること(普賢勧発品)が述べられている。十大願はいっさいの菩薩の行願を代表するとされ,この意味で行徳の本体とされる彼は,仏の知恵をつかさどる文殊と行動をともにすることが多く,ともに釈迦の脇侍となる。また密教経典には延命の徳も説かれている。…

【仏教医学】より

…元来仏教の成立と,古典医学の体系化とは時代背景が共通しており,原始仏典には病気や医学の比喩が多く見いだされる。また釈迦の時代にジーバカ(耆婆(ぎば))という名医が活躍していたことはあまりにも有名である。医学的記事が最も多く見いだされるのは三蔵のうちの〈律蔵〉であり,出家者の日常生活の規定の一部として医事・薬事が詳しく語られている。…

【仏教文学】より

…それらは用いられた言語よりパーリ語仏教文学とサンスクリット仏教文学とに大別される。 前者の例としては,まず釈迦の生涯の事績を語る仏伝文学があげられる。これは律蔵の〈大品〉や経蔵の《大般涅槃経》などに古いものがみられる。…

【仏足石】より

…足形は左右1対(双足)のものがほとんどであるが,まれには片方(隻足(せきそく))だけのものもある。仏陀(釈迦)が生涯を通じて諸方に遊行し,説法した足跡をとどめる意味から,仏陀の足文を石に刻んだもので,礼拝の対象とされた。インドの初期仏教においては,仏陀の形像を造ることはおそれおおいこととされ,1世紀ころまではその造像は行われなかった。…

【仏陀】より

…〈仏陀〉は多数存在することができ,ジャイナ教の開祖マハービーラもこの名で呼ばれたことがある。しかし一般には,〈仏陀〉といえば釈迦をさす。仏教では仏陀として過去七仏,未来仏としての弥勒仏,過去・現在・未来の三千仏などが考えられるようになった。…

【ベーサカ祭】より

…南方仏教で,釈迦の誕生,成道(じようどう),入滅を祝って行われる祭り。中国や朝鮮,日本などの北伝(大乗)仏教では,釈迦の誕生,成道,入滅はそれぞれ別の日のこととされ,それらの日ごとに祝われる(たとえば,4月8日の降誕会(ごうたんえ)または灌仏会(かんぶつえ),12月8日の成道会(じようどうえ),2月15日の涅槃会(ねはんえ)など)。…

【法輪】より

…仏教で,釈迦の説いた教え(法)を車輪にたとえて呼んだもの。後には,法(仏教)もしくは仏(釈迦)そのものの象徴としても用いられるようになった。…

【ボダイジュ(菩提樹)】より

…ヨーロッパのリンデンlindenと呼ばれるものは,ナツボダイジュT.platyphyllos Scop.とフユボダイジュT.cordata Mill.およびその雑種のセイヨウシナノキTeuropaea L.(英名common linden)をさすといわれる。 釈迦が,その木の下で菩提を成就し,仏となったという菩提樹は,仏教やヒンドゥー教で神聖な木とされている。このインドの本来の菩提樹はインドボダイジュFicus religiosa L.(英名bo tree,bodhi tree)の名で呼ばれるクワ科の常緑広葉樹で,葉は広卵心形で先端は尾状にとがっている。…

【ボードガヤー】より

…インド北東部,ビハール州ガヤー市の南約8km,リラージャーン川(古名〈ナイランジャナー〉,その漢訳名〈尼連禅河〉)の西岸にある釈迦の成道処で,仏教随一の聖地。〈ブッダガヤーBuddhagayā〉,またその音写〈仏陀伽耶〉の名でも知られる。…

【預言(予言)】より

…【山形 孝夫】
[仏教]
 仏教では,ある特定の個人の死後の運命,特に解脱や成仏(じようぶつ)に関して,〈ビヤーカラナ〉と呼ばれる一種の予言が行われた。修行によってある境地に達した人物の死後の運命(解脱するかどうか)について釈迦が予言を与えたことは,〈阿含経(あごんきよう)〉など比較的古い経典にもみられる。一方ある人物が菩薩として転生をかさねながら修学をつむうち,遂には仏となるであろうと諸仏が予言するかたちは,大乗仏教になってから発達した思想である。…

【鹿野苑】より

…古代インド,カーシー国にあった園林で,釈迦が悟りをひらいた後,初めて説法(初転法輪)を行った場所。サンスクリットのムリガダーバMṛgadāva(パーリ語でミガダーヤMigadāya)の漢訳。…

※「釈迦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

釈迦の関連キーワード田和山(たわやま)遺跡麻裳よし紀綱中葉護国院21世紀☆みらい体験博朝鮮系天干連山易

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

釈迦の関連情報