中国、華北地区南部の省。地域の大半が黄河(こうが)の南にあることから名づけられた。略称は豫(よ)。面積16万6000平方キロメートル(2015)、人口1億0788万1400(2016)。大部分が漢民族であるが、回族をはじめとする少数民族も約125万人居住する(2014)。省都は中北部の鄭州(ていしゅう)市。ほかに開封(かいほう)、洛陽(らくよう)、平頂山(へいちょうざん)、安陽(あんよう)、鶴壁(かくへき)、新郷(しんきょう)、焦作(しょうさく)、濮陽(ぼくよう)、許昌(きょしょう)、漯河(らが)、三門峡(さんもんきょう)、商丘(しょうきゅう)、周口(しゅうこう)、南陽(なんよう)、信陽(しんよう)などの17地級市、21県級市、85県、52市轄区がある(2017年4月時点)。
[駒井正一 2017年7月19日]
地形は西と南の山地、東の平原に大別できる。西の山地は豫西(よせい)、豫北山地で、前者は秦嶺(しんれい)山脈の支脈、熊耳(ゆうじ)、伏牛(ふくぎゅう)両山脈などからなり、五岳の一つ嵩山(すうざん)が東方にそびえる。後者は太行(たいこう)、中条両山脈の断層崖や丘陵で、山西(さんせい)省との省境をなす。南の山地は桐柏(とうはく)、大別(だいべつ)両山脈で、湖北(こほく)省との省境、淮河(わいが)と揚子江(ようすこう)との分水嶺をなす。東部には黄淮(こうわい)平原が広がる。華北平原の南西部分にあたり、北部は黄河、中南部は淮河による沖積平野で、東に傾斜し、ほとんどが黄土で覆われる。南西には南陽盆地があり、揚子江流域への交通の要所をなす。
黄河は北部を東西に横切り、銅瓦廂(どうがしょう)で北東流し山東(さんとう)省との省境をなすとともに、西方では三門峡を形成し、1960年に完成した防砂、水防、水利の目的をもつ三門峡ダムが人工湖をつくる。孟津(もうしん)以東の平原では天井(てんじょう)川(懸河(けんが))となるため、堤防補強工事が進んでいる。淮河は支流も多く、流域面積は全省の約半分を占める。排水状態が悪く、運河、遊水池、ダムを設け、流路を確保している。秦嶺山脈と淮河を結ぶ線が省を横断し、北部は暖温帯半湿潤気候、南部は亜熱帯湿潤モンスーン気候を示す。
[駒井正一 2017年7月19日]
仰韶(ぎょうしょう)文化の遺跡、殷墟(いんきょ)や鄭州の商城など遺跡が多く、早くから開けた地域である。洛陽は周、後漢(ごかん)などの、開封も戦国時代の魏(ぎ)以来7王朝の国都とされた。古代9州のうちで、中央にあり、文化の中心として中州(ちゅうしゅう)、中原(ちゅうげん)とよばれた。そのためしばしば抗争の舞台となり、20世紀でも、1938年に国民政府軍が花園口(かえんこう)で黄河を決壊させ、被害を与えたのは有名である。
[駒井正一 2017年7月19日]
2016年の域内総生産(GDP)は4兆0160億元(約66兆円=同年平均為替(かわせ)レートで換算、以下同)で、国内31の省・直轄市・自治区のなかでは5位である。経済成長率は前年比8.1%増で、全国平均(6.7%増)を1.4ポイント上回った。成長率を産業別にみると、第一次産業が4.2%増、第二次産業が7.5%増、第三次産業が9.9%増である。GDPは改革開放後、1978年の163億元から1990年935億元、2000年5053億元、2010年2兆3092億元と急増した。1978年の第一次産業、第二次産業、第三次産業の構成比はそれぞれ39.8%、42.6%、17.6%であったが、2014年には11.9%、51.0%、37.1%に変化している。
2016年『フォーチュン』誌(アメリカの経済誌)のグローバル500社のランキングでは、漯河市に本拠(本社は2014年に香港(ホンコン)に移転)を置く民営食品メーカーの万洲国際(WHグループ。売上高212億ドル)が495位に入った。このほか知名度が高い企業として、石炭大手の河南能源化工集団(国有企業、本社鄭州市)と中国平煤神馬能源化工集団(国有企業、本社平頂山市)、バス車両メーカーの鄭州宇通集団(民営企業、本社鄭州市)、鉄鋼メーカーの安陽鋼鉄集団(国有企業、本社安陽市)、セメントメーカーの天瑞集団(民営企業、本社汝州(じょしゅう)市)などがあげられる。
中央政府は2010年7月、「西部大開発」などに続く国家戦略として「中原経済区」構想を打ち出し、2012年末にその建設計画を発表した。中原経済区とは、河南省を中心とする地域の発展を促すための経済区で、対象範囲は河南省全域と、隣接する河北(かほく)省、山西省、安徽(あんき)省、山東省の一部を含み、域内人口は約1億5000万(2015年末時点)と、豊富な労働人口を有する。なかでも、同経済区の中心地となる鄭州は、物流拠点としての役割が期待されている。
[于 海春 2017年7月19日]
2009年時点の耕地面積は819万2000ヘクタールで、全国の耕地面積の6.1%を占め、国内3位の広さを誇る。1996年時点と比べて約3.4%増加している。2009年時点の1人当り耕地面積は8.2アールで、全国平均(10.1アール)より少ないが、これは人口の多さが原因である。耕作に適した平地が多い河南省は、穀物生産量において黒竜江省に次ぐ国内2位である(2016)。穀物生産量は、1978年の2711万トンから、1990年3304万トン、2000年4101万トンと増加を続けた。2000年代後半からは農業の機械化、高効率化などが図られ、その結果、生産量は2016年には5947万トンにまで達した。
商品作物ではタバコ、綿花、油料作物のラッカセイ、アブラナ、ゴマなどがあげられる。とりわけ許昌はタバコの産地として全国的に有名。果物生産も盛んで、2014年の生産量は1664万トンに及び、その大半がスイカである。農業特産物として、洛陽のボタン、鄢陵(えんりょう)のロウバイ、信陽の毛尖(マオチエン)茶などが名高い。
[于 海春 2017年7月19日]
平頂山、鄭州などの炭田、中原油田、河南油田のほかに多数の鉱山を有するなど、地下資源に富む。省内では142種類の資源が発見されており、そのうち109種類の埋蔵量が確認されている(2015)。石炭、原油、天然ガスの埋蔵量はそれぞれ国内9位、12位、16位である(2010年末時点)。埋蔵量が国内1位の資源はチタン鉱石、マグネシウム鉱石、モリブデン、藍晶石、紅柱石、天然ソーダ、橄欖石(かんらんせき)、石灰岩など計13種類に上る。また、ボーキサイト(埋蔵量国内2位)や金(同8位)などの重要な金属資源も産出される。
[于 海春 2017年7月19日]
中華人民共和国成立直後から1970年代後半にかけて、河南省は重工業を中心とした初期発展を遂げた。主要産業は金属製錬業、石炭鉱業、化学工業、機械工業、紡績工業などで、1978年の工業生産額は171億元であった。改革開放後、本省の工業は隴海(ろうかい)線や京広線などの域内沿線地域を軸に急速な発展を遂げ、2000年には工業生産額が6719億元にまで達した。2000年代以降は、食品工業、金属製錬、化学、自動車用鋼材、設備製造、紡績・アパレルの六つが本省の主要産業として確立された。
しかし2008年、リーマン・ショックと資源価格の高騰に見舞われ、上記主要産業のうち金属製錬(とくにアルミニウム加工)、紡績などが大きく落ち込んだ。2012年以降は、過剰生産に伴う石炭・鉄鋼価格の急落などを背景に、工業成長率は相対的に鈍化傾向にある。工業増加値(中国が工業統計において重視する指標で、工業製品の付加価値を表す)でみると、2011年時点の規模以上企業(売上高2000万元以上の企業=2011年以降の基準)の工業増加値は前年比19.6%増であったが、2015年には8.6%増に減速した。なかでも、金属製錬(同1.0%増)、化学(同1.7%増)、建築材料(同7.1%増)、紡績(同7.7%増)の成長鈍化が目だち、エネルギー産業はマイナス成長(同11.9%減)に陥った。その一方で、電子工業、自動車関連産業、食品工業は2010年代に入っても高成長を保ち、規模以上企業の2015年の工業増加値は、電子工業が前年比25.7%増、自動車関連産業が同15.4%増、食品工業が同8.3%増であった。これらの産業が成長したのは、本省の土地や人件費が沿岸部と比べ安く、コストダウンを目ざす企業の誘致に成功したためである。
主要産業の地域分布は、石炭関連企業が鄭州、鶴壁、義馬(ぎば)、アルミニウム加工企業が鄭州、三門峡に拠点を構える。また、化学工業は洛陽に、食品工業は鄭州、漯河両市に集中し、綿糸紡績は鄭州、新郷、洛陽で盛ん。自動車関連産業は鄭州に、電子工業は鄭州、新郷、洛陽に集中している。
伝統的手工業では、洛陽の唐三彩、禹州(うしゅう)の鈞磁(きんじ)、開封の刺しゅう、南陽の玉石彫刻などが有名。
[于 海春 2017年7月19日]
多数の世界遺産や史跡を擁する河南省にとって、観光業は産業の柱の一つである。2014年の国内観光客数は前年比11.6%増の4億5642万人、観光客の旅行消費額は前年比12.7%増の4322億元(約7兆円)であった。一方、2014年のインバウンド消費は前年比9.9%増の7億2530万ドル、外国人観光客数は前年比9.6%増の延べ227万2000人であり、国内観光客と比して低い水準にとどまる。
[于 海春 2017年7月19日]
河南省には鄭州、開封、漯河など九つの国家級経済技術開発区、鄭州、洛陽、安陽、南陽の四つの国家ハイテク産業開発区(高新区)、さらには鄭州航空港経済総合実験区が設けられており、本省は優遇税制などの政策により投資誘致を進めている。2014年の海外(香港を含む)からの直接投資額は149億2688万ドルで、製造業が68.4%を占める。国・地域別では、1位が香港で全体の71.1%を占め、以下、2位台湾(5.9%)、3位アメリカ(4.3%)と続く。2位台湾のEMS(電子機器受託製造サービス)企業、鴻海(ホンハイ)科技集団(フォックスコン)は2010年8月、鄭州市にiPhone(アイフォーン)の組立て工場を設立。同工場は世界最大規模のiPhone生産基地となり、2017年3月時点でiPhoneの累計生産台数は5億2000万台に達した。2015年11月には、同社の液晶パネル工場も鄭州市に建設している。
2014年の日本からの直接投資額は1億7764万ドル(1.2%)で、6位であった。
[于 海春 2017年7月19日]
都市部の非私営企業従業員の平均年収は4万5403元(約87万3000円、2015)である。これは、全国平均よりも大幅に低い水準(73.2%)である。
2016年の1人当り可処分所得は1万8443元(約30万2000円)で、前年比で7.7%増加した。都市・農村別では、都市部が2万7233元(約44万6000円、前年比6.5%増)、農村部は1万1697元(約19万1000円、同7.8%増)である。都市部と農村部の所得格差は2005年時点で3.01倍であったが、同年をピークに2010年には2.88倍、2016年には1.48倍にまで下がり、格差は解消されつつある。
[于 海春 2017年7月19日]
省都の鄭州は重要な交通拠点であり、東西を結ぶ幹線鉄道である徐蘭線(徐州(じょしゅう)―蘭州(らんしゅう))と、南北の大動脈である京広線が鄭州で交差する。高速鉄道では、徐蘭線の一部を形成する鄭西旅客専用線(鄭州―西安(せいあん))と鄭徐高速鉄道(鄭州―徐州)に加え、京広高速鉄道が省内を通る。また、商杭旅客専用線(商丘―杭州(こうしゅう))と鄭渝(ていゆ)高速鉄道(鄭州―成都(せいと))が建設中であり、ともに2019年開通予定である。その他の主要路線として、隴海線、京九線、鄭開城際鉄道(鄭州―開封)、鄭焦城際鉄道(鄭州―焦作)などがある。高速鉄道利用で、鄭州から北京(ペキン)まで約3時間、武漢(ぶかん)、西安までは約2時間である。
2014年時点で開通している道路の総延長は24万9857キロメートルで、このうち高速道路は国内2位の5859キロメートルである。重要な高速道路として、京港澳(けいこうおう)高速道路(北京―香港―マカオ)、滬陝(こせん)高速道路(上海(シャンハイ)―西安)、済広高速道路(済南(さいなん)―広州(こうしゅう))などがあげられる。
空路では、省内最大の鄭州新鄭国際空港を中心に、洛陽北郊空港、南陽姜営(きょうえい)空港などがある。鄭州新鄭国際空港は東京、大阪、静岡、名古屋と直行便で結ばれている。
[于 海春 2017年7月19日]
古くから文化の中心地として栄えていた河南省には重要な遺跡も多く、5件の世界遺産がある。
(1)「竜門石窟(りゅうもんせっくつ)」(2000年登録、文化遺産) 洛陽市の南方約13キロメートル、伊河(いが)両岸の竜門山と香山(こうざん)にある石窟寺院である。唐の第3代皇帝・高宗が造営した奉先寺洞(ほうせんじどう)が最大規模の石窟で、本尊の大盧舎那仏(るしゃなぶつ)は有名。
(2)「殷墟」(2006年登録、文化遺産) 安陽市を流れる洹水(えんすい)両岸にある。実在が確認された中国最古の王朝である殷王朝の地下王墓群で、多数の甲骨や青銅器が出土している。
(3)「河南登封(とうほう)の文化財“天地之中”」(2010年登録、文化遺産) 「天地之中」とは中華思想に基づく世界観で、天地の中心とされる中国の、さらに中核に位置する中原(河南省)をさす。登封市にそびえる嵩山は、「五岳」の中心に位置する聖なる山とされ、古くから仏教、儒教、道教などの宗教建造物が数多く築かれてきた。そのうち、「太室闕(けつ)と中岳廟(びょう)」や「少林寺建築群」など計8件の建造物群が構成資産として登録された。
(4)「シルク・ロード:長安‐天山(てんざん)回廊の交易路網」(2014年登録、文化遺産) 省内では後漢北魏洛陽城、隋(ずい)唐洛陽城定鼎門(ていていもん)、新安(しんあん)県漢代函谷関(かんこくかん)、石壕(せきごう)地区崤函古道(こうかんこどう)の4件が構成資産として登録された。
(5)「中国大運河」(2014年登録、文化遺産) 河南省は隋の文帝、煬帝(ようだい)の整備した大運河が通る省の一つで、通済渠(つうせいきょ)の一部である洛陽の含嘉倉(がんかそう)遺跡、回洛倉(かいらくそう)遺跡に加え、鄭州、商丘南関、商丘夏邑(かゆう)の運河などが構成資産として登録された。
[于 海春 2017年7月19日]
外務省編『海外在留邦人数調査統計』によると、2015年(平成27)10月時点の在留邦人数は118人で、その半数は鄭州市に居住している。
2016年10月時点で河南省に進出している日系企業の拠点数は100に及び、鄭州の国家級経済技術開発区に工場を構える東風日産(日産自動車の現地合弁企業)など、自動車関連の企業が中心である。その他、日立物流、日立化成、日本発条(ニッパツ)、NTNなどが鄭州に進出している。
河南省と友好提携をしている日本の地方自治体は三重県(1986年締結)である。また、民間での技術・文化交流も盛んで、なかでも鹿児島出身の農業指導者・川崎廣人(1946― )は、2013年から化学肥料の使用で悪化した土壌の改善を指導するために訪中し、新郷市原陽(げんよう)県小劉固村の農場で循環型農業の実践・指導に従事してきた。彼のことは中国主力紙の報道により広く知られている。
[于 海春 2017年7月19日]
大阪府南東部、南河内郡(みなみかわちぐん)にある町。1956年(昭和31)白木(しらき)、中、河内、石川の4村が合併して成立。国道309号が通じ、近畿日本鉄道長野線富田林(とんだばやし)駅からバスの便がある。金剛(こんごう)山地の西斜面から東条川の河谷平野にあり、山麓(さんろく)は温州(うんしゅう)ミカンの産地、平野部は近郊農業が盛んで、「白木ナス」をはじめ野菜の栽培が盛ん。山地は金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)に属し、山麓の弘川寺(ひろかわでら)は歌人西行(さいぎょう)終焉(しゅうえん)の地、高貴寺(こうきじ)は慈雲尊者(じうんそんじゃ)の住寺として有名。面積25.26平方キロメートル、人口1万5697(2020)。
[位野木壽一]
『『河南町誌』(1968・河南町)』
宮城県東部、桃生郡(ものうぐん)にあった旧町名(河南町(ちょう))。現在は石巻(いしのまき)市の南西部を占める地域。1955年(昭和30)広淵(ひろぶち)、須江、北、前谷地(まえやち)、鹿又(かのまた)の5村が合併して町制施行。2005年(平成17)石巻市に合併。河南の地名は北上川南岸の広域呼称に由来する。JR石巻線が通じ、気仙沼線(けせんぬません)を分岐する。また、国道45号、108号が通じる。旧北上川下流部に位置し、耕地の大部分は水田で、県内でも有数の稲作地域である。キュウリ、トマトなどの野菜や花卉(かき)園芸も盛ん。広淵沼は灌漑(かんがい)用に築造されたが、大正中期に干拓され685ヘクタールの水田が造成された。西部の旭山(あさひやま)はサクラの名所で、県立自然公園になっている。山麓(さんろく)にある箱泉(そうせん)寺は円仁(慈覚大師)が開いたと伝えられ、名木シダレグリがある。北西部には縄文後期の宝ヶ峯遺跡がある。
[境田清隆]
『『河南町誌』全2巻(1971・河南町)』▽『『河南町史』全2巻(2005・河南町)』
大淀川以南地域をさす広域呼称。応永―嘉吉(一三九四―一四四四)頃、島津忠国は日向の伊東祐尭を攻撃し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大阪府南東部,南河内郡の町。人口1万7040(2010)。金剛山地の西斜面にあり,東は奈良県に接する。西部は東条川の沖積地と丘陵地よりなり,耕地が広がる。米作を中心とした農業が盛んであったが,近年施設園芸としてナスや葉菜類の栽培も盛ん。丘陵地ではミカン栽培も行われる。天智朝に役行者(えんのぎようじや)が創建し,天武朝に勅願寺となったと伝え,西行が没したといわれる弘川寺や空海によって命名されたと伝える高貴寺がある。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…中国の前漢時代に河東,河内,河南を総称した地名。河東は南流黄河の東部で今日の山西省南西部,河内は東流黄河が太行山脈の南東角から転じて北流する屈曲部の内側,今日の河南省北部,河南は黄河の南側に当たる河南省中部をさす。…
…遼東鮮卑の慕容渉帰の子,吐谷渾が陰山に沿って西遷し,4世紀初め隴山(ろうざん)の西に進んだ。その子孫の黄河南部に拠ったのをこの称で呼んだ。河南とも呼ばれ,チベット語では’A zhaといわれる。…
※「河南」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新