宝貝村(読み)ほうがいむら

日本歴史地名大系 「宝貝村」の解説

宝貝村
ほうがいむら

[現在地名]館山市宝貝

安東あんどう村の南に位置し、小さな谷に展開する。応永三〇年(一四二三)一二月八日の鎌倉公方足利持氏御教書(極楽寺文書)に「安東郷内朴谷村安東又三郎跡」とみえ、安東又三郎が知行していた朴谷村は鎌倉極楽寺に引渡されることになったが、現地の真田刑部左衛門尉がこれを拒絶したため、鎌倉公方足利持氏は守護上杉定頼に重ねて極楽寺に引渡すよう命じている。この朴谷村は当地の字ほうやつにあたると思われる。

慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高一八四石余(うち田一四八石余)、同一五年の里見家分限帳によると廿人衆の波多野庄左衛門の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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