神奈川県南西部、足柄上郡(あしがらかみぐん)にある町。1956年(昭和31)相和(そうわ)、金田の2村と曽我(そが)村の一部が合併して町制施行。中世の大井荘(しょう)を中心とする地域なので町名とした。東名高速道路の大井松田インターチェンジがあり、JR御殿場(ごてんば)線、国道255号が通じる。足柄平野の扇頂部と大磯(おおいそ)丘陵の西部にわたり、丘陵には二次林の緑が残されて野鳥が多い。平野部はもともと酒造米で知られる良質の上郡米(かみごおりまい)の産地として知られ、ナシも特産。丘陵部はミカン、イチジクの産地としても知られる。1968年に第一生命保険の大井町本社が東京都心部から移転して、新旧両町民が相協力、融和しつつ発展に努め、首都圏の新都市づくりの好例となった(2011年第一生命は本社機能を再編し再度移転)。面積14.38平方キロメートル、人口1万7129(2020)。
[浅香幸雄]
『福武直編著『大井町――地域社会の構造と展開』(1967・地域社会研究所)』▽『『大井町史』全7巻(1995~2002・大井町)』
岐阜県恵那市(えなし)の中心地区。旧大井町。古くは東山道(とうさんどう)の大井駅、江戸時代には中山道(なかせんどう)の大井宿で知られる。大井宿の町並みは長さ700メートル余り、6か所で折れ曲がっており、西から5番目の角(かど)に本陣があり、いまは正門などが残る。
[上島正徳]
埼玉県南部、入間郡(いるまぐん)にあった旧町名(大井町(まち))。現在はふじみ野市の南部を占める地域。旧大井町は1966年(昭和41)町制施行。2005年(平成17)上福岡市(かみふくおかし)と合併し、ふじみ野市となる。武蔵野(むさしの)台地の北東部に位置する。旧町域に駅はなく東武東上線上福岡、ふじみ野、鶴瀬(つるせ)の各駅を利用する。中部を国道254号(旧川越(かわごえ)街道)、西部を関越自動車道がほぼ南北に通る。江戸時代は川越街道の宿場としてにぎわった。ニンジン、ゴボウなどの根菜類の産地であったが、東京まで約1時間の距離的関係もあって、最近は工場や住宅の増加が著しい。
[中山正民]
『『大井町史』全8冊(1985~1989・大井町)』
神奈川県中西部,足柄上郡の町。人口1万7972(2010)。小田原市の北に接し,西部は足柄平野,東部は大磯丘陵の北西端を占める。町名は中世の大井荘にちなむ。かつては丘陵地のミカンと低地の米作が中心の農村であったが,1960年ころから工場が進出し,60年代中ごろから人口が増加した。68年には東名高速道路大井松田インターチェンジ付近の丘陵に第一生命大井本社が建設され,10haにのぼる社員住宅地をはじめ,ショッピングセンター,医療施設なども含めた町づくりを行って,注目された。JR御殿場線が通じる。
執筆者:千葉 立也
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…木曾川をはさんで南北にひろがる。1954年大井,長島の2町と東野,三郷,武並,笠置,中野方,飯地の6村が合体して市制。人口3万5687(1995)。…
…中近世の井戸では,廃棄時に竹管や護符を埋めこんで,祭祀を行った例が少なからず知られている。【町田 章】 古くは水そのものが生活や生産にとって重要であったことや,中国から伝来した道教の影響もあって,井戸水が霊水視され,古くから各地で大井社・御井社などとよばれる神社がまつられており,また東大寺二月堂前の若狭井のように特別な伝承をもって神秘化されたもの,また仏像などがそのそばに安置されたものなども多かった。律令国家は駅家(うまや)に井戸を掘らせて通行者に供することを命じているし(《延喜式》),行基菩薩や弘法大師などによって開削されたと伝承される古い井戸は多いが,僧侶の社会事業の一つとして開削されたものが多かったことが推測される。…
※「大井」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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