20世紀日本人名事典 「宮内康」の解説
宮内 康
ミヤウチ コウ
昭和・平成期の建築家 宮内康建築工房主宰。
- 生年
- 昭和12(1937)年
- 没年
- 平成4(1992)年10月3日
- 出生地
- 兵庫県神戸市
- 出身地
- 長野県飯田市
- 学歴〔年〕
- 飯田高松高卒 東京大学工学部建築学科〔昭和37年〕卒 東京大学大学院〔昭和42年〕博士課程修了
- 主な受賞名〔年〕
- 建築フォーラム賞〔平成4年〕「山谷労働者福祉会館」,山梨県建築文化賞〔平成4年〕「数理技研オープンシステム研究所」
- 経歴
- 神戸市で生まれたが、昭和20年父を亡くし飯田市に移る。東京大学在学中の35年、六・一五全学連主流派の国会突入デモで警視庁構内に逃げ込み逮捕された。東大大学院の吉武・鈴木研究室に学び、42年東京理科大学理工学部助手、43年専任講師となるが、46年全共闘運動に共感して大学を批判したため、解雇された。裁判闘争を行い、50年和解が成立。この間、44年設計工房を開設、51年AURA設計工房、63年宮内康建築工房と改称。作品に「劇団状況劇場稽古場」「青岩寺」「山谷労働者福祉会館」「数理技研竜王社屋」「七戸町文化村スペイン館」など、著書に「怨恨のユートピア」「風景を撃て」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報