寄長村(読み)よりながむら

日本歴史地名大系 「寄長村」の解説

寄長村
よりながむら

[現在地名]丸岡町寄永よりなが

丸岡城下の南東方、北の鳴鹿なるか道と南の九頭竜くずりゆう川との中間に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では粟田島あわたじま村に含まれるが、同三年七月一五日付の粟田嶋之内よりなか村御検地帳(井関家文書)があり、同帳によると、田方八九・八九七石(五町八反二畝五歩)、畠方〇・三二七石(四畝八歩)、屋敷四・一石(三反八畝一四歩)であった。また延宝六年(一六七八)五月三日付の寄永村御検地水帳之写(同文書)によると、田畠合五町五反一四歩、石高九四・三二四石とあり、前記慶長検地帳と比較すると石高に変化はないが、七反四畝一三歩の減少となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む