20世紀日本人名事典 「寺田治郎」の解説
寺田 治郎
テラダ ジロウ
昭和期の裁判官 元・最高裁長官。
- 生年
- 大正4(1915)年11月4日
- 没年
- 平成14(2002)年3月17日
- 出生地
- 三重県一志町
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部法律学科〔昭和13年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等旭日大綬章〔昭和62年〕
- 経歴
- 昭和22年裁判官になり、大津地家裁所長、49年最高裁事務総長、52年名古屋高裁、53年東京高裁各長官などを歴任して、55年最高裁判事、57年10月第10代長官に就任。60年11月退官。長官時代の60年7月、1票の格差をめぐって争われた衆院議員定数訴訟で、当時の定数配分規定を違憲とする判決を出し、国会の怠慢を厳しく批判した。他に「堀木訴訟上告審」「拘置所新聞墨塗り訴訟」「ポルノ税関検査訴訟」「福岡県青少年保護条例違反訴訟」「サラリーマン税金訴訟」など8件の大法廷判決の裁判長を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報