日本歴史地名大系 「小手穂村」の解説 小手穂村おてぼりむら 和歌山県:和歌山市河南地区小手穂村[現在地名]和歌山市森小手穂(もりおてぼ)名草(なくさ)郡に属し、和田(わだ)川の北、大日(だいにち)山の南、森村の東にある。村名は「続風土記」に「遠底煩里」と訓ずる。大治二年(一一二七)八月一七日の紀伊国在庁官人等解案(林家文書)に記される、日前国懸(ひのくまくにかかす)宮が申請した便補の常荒田の四至のうちに「小手」がみえるが、これは小手穂かと思われる。中世は岡崎(おかざき)庄に含まれ、天正一七年(一五八九)八月日付の岡了順田地屋敷置文(念誓寺文書)に「岡サキノヲテホ」とみえる。慶長検地高目録でも岡崎村に含まれ、同村の注記のうちに「御手堀」とみえる。のち分村し、天保郷帳は森・小手穂村と並記して八六九石余とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by