密教の中心本尊で如来の一つ。サンスクリット名マハーバイローチャナMahāvairocanaの訳で,摩訶毘盧遮那(まかびるしやな)と音訳し,単に毘盧遮那仏ともいう。その智慧の光明があまねく一切に及び,慈悲の活動が永遠不滅とされ,密教の体系ではすべての諸仏諸菩薩はこの如来より出生したとされる。《大日経》に説く胎蔵大日如来と,《金剛頂経》に説く金剛界大日如来の2種があり,両経が展開する説に基づいた,いわゆる両界曼荼羅の中心に位置する。すなわち胎蔵曼荼羅では中台八葉院の中心に,金剛界曼荼羅では成身会(じようじんえ)や一印会(いちいんえ)等の中心に描かれる。形姿は如来中にあっては異例の菩薩形をとるが,両者に若干の相違がある。まず金剛界大日如来は,肉身は白肉色で智拳印を結び,蓮華座上に結跏趺坐(けつかふざ)し,頭部には五仏宝冠を戴く。一方,胎蔵大日如来の肉身は黄金色で法界定印を結び,同じく蓮華座上に結跏趺坐し,頭部には五仏宝冠を戴く。両界曼荼羅を代表するものとして金胎一組の大日如来,もしくはどちらか一方の大日如来を単独で造顕することも行われた。
インドのオリッサ地方や西チベットのラダック地方には,金胎の大日如来の遺品が報告されているが,中国での現存例はきわめて少ない。日本では空海による正規の密教の導入以来,その中心本尊として造顕された。空海の構想になる高野山金剛峯寺は大塔に胎蔵大日を,多宝塔には金剛界大日を安置した。また下って1132年(長承1)に供養された法成寺東西両塔においては,西塔に金剛界大日,東塔に胎蔵大日を安置したと伝える(《中右記》)。比叡山延暦寺講堂には824年(天長1)胎蔵大日が安置された(《山門堂舎記》)。この間,京都の東寺講堂,神護寺講堂,勧修寺多宝塔をはじめ密教寺院の講堂,多宝塔,大日堂などにおいては,金剛界大日もしくは胎蔵大日が造立安置された。現存する遺品としては平安時代に金剛界大日の作例が多い。すなわち金剛峯寺西塔,大津石山寺,奈良の唐招提寺,円成(えんじよう)寺(運慶作)などが著名であり,胎蔵大日としては滋賀県長浜市の旧高月町の向源寺,京都広隆寺などの像がある。さらに京都安祥寺や吉野大日寺には金剛界の五仏,すなわち五智如来を一組のものとして安置する。両界曼荼羅中の大日如来を別にすれば,大日如来を描いた絵画作品としては,文献上たとえば《神護寺略記》天長4年(827)に大日一印曼荼羅一鋪を図絵した記事があるものの,現存遺品では平安時代にさかのぼる根津美術館本のほかは,鎌倉時代以降の作品である。金剛峯寺本,兵庫武藤家本,さらに大日金輪像として醍醐寺の2本,東京国立博物館本などがある。
執筆者:百橋 明穂
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…第1の雑密とは,世界の女性原理的霊力をそれと同置された呪文,術語でいう真言(しんごん)(マントラ),明呪(みようじゆ)(ビディヤーvidyā),陀羅尼(だらに)(ダーラニー)等の誦持によってコントロールし,各種の目的(治痛,息災,財福の獲得など)を達しようとするものである。純密とは《大日経(だいにちきよう)》と《金剛頂経(こんごうちようきよう)》のいわゆる両部大経を指すが,前者は大乗仏教,ことに《華厳経》が説くところの世界観,すなわち,世界を宇宙的な仏ビルシャナ(毘盧遮那仏)の内実とみる,あるいは普賢(ふげん)の衆生利益の行のマンダラ(余すところなき総体の意)とみる世界観を図絵マンダラとして表現し,儀礼的にその世界に参入しようとするもので,高踏的な大乗仏教をシンボリズムによって巧妙に補完したものとなっている。《金剛頂経》はシンボリスティックに表現された仏の世界を人間の世界の外側に実在的に措定し,〈象徴されるものと象徴それ自体は同一である〉というその瑜伽(ヨーガ。…
…仏教が,バラモン教を摂取したヒンドゥー教の隆盛に対応するため,これらと妥協し,回生を計ろうとしたところに密教学は確立された。やがて大日如来(大日)を中心に,釈尊の禁止した呪や印契,壇を設ける修法を取り入れ,バラモン教・ヒンドゥー教の諸神を多量に包摂した。 密教のアジア諸国への伝播にはいくつかの道があった。…
※「大日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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