岡崎(読み)オカザキ

デジタル大辞泉 「岡崎」の意味・読み・例文・類語

おかざき【岡崎】[地名・作品名]

愛知県中南部の市。西三河地方の経済の中心。本多氏らの城下町東海道の宿駅として発展。徳川家康の生地。繊維・自動車工業が盛ん。八丁味噌の産地。平成18年(2006)1月、額田ぬかた町を編入。人口37.2万(2010)。
江戸初期のはやり歌。「岡崎女郎衆じょろしゅはよい女郎衆」という歌詞で、時に踊りも伴う。各地に獅子舞ししまいの曲として残る。岡崎踊。岡崎女郎衆
浄瑠璃伊賀越道中双六いがごえどうちゅうすごろく」の八段目の通称。

おかざき〔をかざき〕【岡崎】

婚礼のときの嫁のかぶりもの。約6センチ幅の白布を菱形ひしがたに畳み、それを広げてかぶる。葬列につく近親の婦人も用いる。岡崎帽子。
[補説]地名・作品名別項。→岡崎

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「岡崎」の意味・読み・例文・類語

おかざき をかざき【岡崎】

[1]
[一] 愛知県中部、矢作(やはぎ)川に沿う地名。江戸時代は岡崎藩五万石の城下町、東海道の宿駅として栄えた。徳川家康の出生地。大正五年(一九一六)市制。
[二] 京都市左京区南部の地名。平安末期には白河上皇の院御所や六勝寺があった。岡崎公園、岡崎別院(岡崎御坊)、平安神宮などがある。
[四] 謡曲。五番目物。廃曲。観世彌次郎長俊作。神木をめぐる岡崎と神主との争いを大原大明神が和解させる筋立て。
[五] 浄瑠璃「伊賀越道中双六」八段目の通称。
[2] 〘名〙 ((一)(三)より) 三味線をはじめたばかりの者。三味線の初心者。〔最新百科社会語辞典(1932)〕

おかざき をかざき【岡崎】

〘名〙 婚礼の際の嫁のかぶりもの。綿帽子の代用として始まり、幅約六センチメートルの白布を菱形にたたみ、それをひろげてかぶる。葬式の際、供につく近親の婦人もかぶる。岡崎帽子。

おかざき をかざき【岡崎】

(「おかさき」とも) 姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「岡崎」の意味・わかりやすい解説

岡崎[市] (おかざき)

愛知県中南部にある市。2006年1月旧岡崎市が額田(ぬかた)町を編入して成立した。人口37万2357(2010)。

岡崎市西部の旧市。岡崎平野の中心に位置する西三河地方の経済・文化・交通の中心都市。1916年市制。人口37万2479(2005)。縄文時代早期から矢作(やはぎ)川,乙(おと)川沿いに居住が営まれ,古くから水陸交通の要衝であったが,15世紀半ば岡崎城が築かれ,近世には5万石の城下町,岡崎,藤川は東海道の宿場町,矢作川の水陸貨物の中継河港町として栄えた。明治に入り,東海道線(1888開通)を忌避したため交通集落としての機能は衰えたが(ただし同年旧岡崎宿南方に岡崎線が開業),1923年に名古屋と豊橋を結ぶ愛知電鉄(現,名鉄名古屋本線)が開通して活況を取りもどした。工業は三河木綿の産地として知られるように古くから繊維工業を中心に展開してきた。特に農家の副業的零細経営を特色とするガラ紡は第2次世界大戦後の衣料難時代に最盛期を迎え全国の中心地となった。現在は東レに代表される化学繊維工業が主流である。しかし,工業の中心は昭和50年代以降自動車工業,化学工業に移ってきている。伝統工業として石工業,三河花火,八丁みそが有名。1970年ごろから人口が急増し,名古屋への通勤者も増えている。東名高速道路のインターチェンジがある。
執筆者:

三河国額田郡の城下町。東海道の宿場町および矢作川水運の基地としても栄えた。古くは矢作宿と呼ばれ,室町時代に入ると連歌師の日記などに岡崎の地名が用いられている。矢作川と乙川(菅生川ともいう)の合流点の台地に中世末に岡崎城が築かれ,その後,徳川家康の祖父松平清康が安祥(あんじよう)城(安城)から岡崎に本拠を移して三河一国を領有し,家康もこの地で独立し,天下統一をめざした。家康の関東移封後,豊臣秀吉によって田中吉政が入封したが,関ヶ原の戦後は,本多,水野,松平,本多といずれも譜代大名が封ぜられて維新をむかえた。藩政の確立にともなって城下も整備されたが,東海道が俗に二七曲りといわれて屈折した形で城下を通り,それに沿って細長い形で城下町が形成された。東から投(なぐり)町,両町,伝馬町とつづき,籠田総門に入って籠田町,連尺町,横町,材木町,下肴町,田町,板屋町とつづき,松葉総門を出て松葉町へと通じた。また,街道の北側に久右衛門小路町,裏町,上肴町,能見町があり,南側に十王町,祐金町,六地蔵町,唐沢町があり,計19ヵ町であった。このうち人馬役を負担する役町が11ヵ町,ほかは年貢町であった。町政は町年寄,庄屋,組頭によっておこなわれ,年寄には連尺町の有力商人が任命された。寛政(1789-1801)ごろには宿町家数1626,人口6331,うち男3015,女3316であった。ほかに借屋・寺社250余があり,1858年(安政5)には,本陣3,脇本陣3,旅籠122,茶屋17,町医師8,商家624,職人362,農家494,明家42,寺院41,寺社領791,計2507軒とある。ほかに城郭を中心に武家屋敷があった。城下は東海道を往来する人々,周辺地域から集まった人々,また,寺院が多くその門前に町ができ,参拝に来る人々でにぎわいをみせた。また,町内も含めて木綿の栽培が盛んでその取引もおこなわれ,矢作川,乙川沿いには土場が置かれて交易も盛んであった。明治になって一時額田県の県庁所在地となったが,その後は西三河の中心都市として発達した。
執筆者:

岡崎市東部の旧町。旧額田郡所属。人口9103(2005)。矢作川支流の男(おと)川と乙(おと)川の流域,美濃三河高原の山地を占め,西は旧岡崎市に接する。米作と畜産のほかコンニャク,茶,シイタケの栽培,宮崎を中心に杉,ヒノキ材の生産が行われる。豊富にケイ石,形埜(かたの)に花コウ岩の採掘所がある。男川上流の闇刈(くらがり)渓谷は景勝地として知られ,南東隅の本宮(ほんぐう)山(789m)とともに県立自然公園に指定され,本宮山スカイライン(2006年無料開放)が通じる。臨済宗の名刹天恩寺の地蔵堂と山門は重要文化財。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎」の意味・わかりやすい解説

岡崎
おかざき

京都市南東部、三条通以北、東大路通以東一帯の地。左京区に含まれる。平安末期には白河(しらかわ)法皇の造営になる院御所をはじめ、法勝寺(ほっしょうじ)など六勝寺(ろくしょうじ)の伽藍(がらん)が立ち並んでいたが、のち兵火によって焼失し、人家もまれであった。1895年(明治28)平安遷都1100年を記念して、平安京大内裏(だいだいり)を模して平安神宮が創建された。また1904年には内国勧業博覧会の会場跡地が岡崎公園となった。現在、府立図書館、市立美術館、国立近代美術館、市立動物園、京都市勧業館(みやこめっせ)、京都伝統産業ふれあい館、京都会館などがあり、京都市民の文化センターとなっている。

[織田武雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

事典・日本の観光資源 「岡崎」の解説

岡崎

(愛知県岡崎市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岡崎の言及

【東[村]】より

…村域の大半は山林である。榛名山麓の岡崎は近世の新田集落で,榛名湖から流下する沼尾川の水をひき,開田された。近年は渋川市をはじめ村外への通勤者が多い。…

【矢作】より

…三河国碧海郡(現,愛知県岡崎市)の地名。矢作川渡河点として古代以来交通の要地であった。…

※「岡崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android