日本歴史地名大系 「小田分村」の解説 小田分村おだぶんむら 東京都:府中市小田分村[現在地名]府中市小柳町(こやなぎちよう)一―四丁目・清水が丘(しみずがおか)三丁目・白糸台(しらいとだい)一丁目・押立町(おしたてちよう)一―二丁目・紅葉丘(もみじがおか)一―二丁目・多磨町(たまちよう)二―四丁目是政(これまさ)村の東にあり、南は常久(つねひさ)村の飛地柳原(やなぎはら)、北は常久村。村名は小田某なる者の所領であったことに由来すると考えられ、府中六所宮(現大国魂神社)の禰宜織田氏をこれにあてる説もある。田園簿に小田分村とあり、田一〇三石余・畑一四石余、幕府領と旗本神谷氏の知行所で、村高の大半を占める一一〇石余が同氏知行分。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報