県の東南部に位置し、東西一二・三キロ、南北一六・五キロ。町の中央を
府中市はかつての芦田郡を中心とし、一部御調郡および甲奴郡の地域を含む。備後の国府は「国府在葦田郡」(和名抄)と芦田郡にあった時期があり、その所在地は
また
市域の遺跡はおもに武蔵野・立川両段丘上と沖積地に分布する。旧石器時代の遺跡には北西部
武蔵国府が設置されたのは七世紀末―八世紀前半と考えられ、以後府中は武蔵国の中心都市として繁栄したものと推定される。しかし市域においては古墳時代のまとまった集落遺跡は現在確認されておらず、強大な豪族の存在を示す大古墳もみられない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代には福山藩が綿作を奨励し,備後絣が名産となっている。府中市(ふちゆうのいち)(現,府中町)は石州路の宿駅で,口留番所では木綿などの他領への持出しを取り締まった。楽群舎などいくつもの私塾が設けられ,藩内でも教育の盛んな地であった。…
※「府中市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」