日本歴史地名大系 「屋東大工町」の解説 屋東大工町くしやひがしだいくちよう 大阪府:堺市堺屋東大工町[現在地名]堺市櫛屋(くしや)町東(ひがし)三丁北絹屋(きたきぬや)町の東にあり、山之上鍛冶屋町(やまのうえかじやちよう)筋を挟む両側町。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「櫛屋東大工町」とあり、東頬一三筆・西頬一九筆の宅地からなり、西頬には間口二間の均等割間口が残る。町会所は東頬中央付近に所在。西頬に記される布屋十郎右衛門は糸年寄を補佐する糸目利役人(顕本寺文書)。また町内には大工の宅地が八筆あり、北に隣接する車東大工(くるまひがしだいく)町と併せて中大工(なかだいく)町ともよばれ(申唱之町名「堺市史」所収)、北の柳錦大工(やなぎにしきだいく)町、南組の南大工(みなみだいく)一―三丁目とともに同業者町を形成しており、町名の由来ともなっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by