年寄(読み)トシヨリ

デジタル大辞泉 「年寄」の意味・読み・例文・類語

とし‐より【年寄(り)】

年をとった人。高齢の人。老人。
武家時代、政務に参与した重臣。室町幕府評定衆引付衆江戸幕府老中大名家の家老など。
江戸幕府の、大奥の取り締まりをつかさどった女中の重職。
江戸時代、町村の行政にあたった指導的立場の人。
大相撲関取以上の力士で、引退して年寄名跡を襲名・継承した者。日本相撲協会の運営や各部屋の力士養成に当たる。
老人[用法]
[類語]老人老体隠居ロートル・年配者・高齢者老いシニア老いぼれ長老老輩老骨

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精選版 日本国語大辞典 「年寄」の意味・読み・例文・類語

とし‐より【年寄】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 年をとった人。老人。
    1. [初出の実例]「鎌倉の年よりの申侍しは」(出典:徒然草(1331頃)一一九)
  3. 武家で、政務に参与した重臣。室町幕府では評定衆・引付衆の総称。江戸幕府では老中、大名の諸家では家老。また、朝廷では議奏をさすこともあった。
    1. [初出の実例]「年寄共同心可懸御目由申候」(出典:上杉家文書‐永祿一二年(1569)四月二三日・山口豊守条書案)
  4. 江戸時代、(イ)としよりびゃくしょう(年寄百姓)」の略、(ロ) 庄屋(名主)を補佐する組頭役の別称、(ハ)宿駅の問屋を補佐する役人、(ニ)町政を預かる役人(町年寄)など。
    1. [初出の実例]「とがの子細の有ければ年寄五人組引つれて御代官の花山湯島へいそぎ参るべし」(出典:慶長見聞集(1614)五)
    2. 「あんでも村中ふるって出めへものか、お地頭さめへ干損のおねげへに出るやうに、目代、組頭、年寄(トシヨリ)、下役、縁所縁ぴき、六親眷族、二里いんでんの取沙汰だっけヱ」(出典:滑稽本・戯場粋言幕の外(1806)上)
  5. 江戸幕府の大奥の女中の重職。武家出身者のうち、奥向きの総務(取締)をつかさどったもの。表老中と同格であるが常置の職ではなかった。老女。局。また、武家屋敷の奥の総取締りにあたる御殿女中にもいう。
    1. [初出の実例]「御年寄被仰付候、並之通贈物有之候」(出典:御触書宝暦集成‐延享二年(1745)一四)
  6. 大相撲の関取および十両格以上の行司のうち、引退した後、年寄株を相続し各部屋で力士の養成にあたったり、また相撲協会の役員として協会経営にあたったりする人をいう。日本相撲協会評議員。〔相撲隠雲解(1793)〕
  7. ユダヤ教キリスト教で教会の役職者、長老。
    1. [初出の実例]「イエスその弟子に己のエルサレムに往て長老(トシヨリ)祭司の長学者等より」(出典:引照新約全書(1880)馬太伝福音書)

としより‐し【年寄】

  1. 〘 形容詞シク活用 〙 年寄らしく地味である。ふけた感じである。
    1. [初出の実例]「ただ、角帽子(すみぼうし)の縫物を略して、としよりしく、濁らかして着(き)べし」(出典:申楽談儀(1430)能の色どり)

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改訂新版 世界大百科事典 「年寄」の意味・わかりやすい解説

年寄 (としより)

本来年齢を重ねた人の意味であるが,転じて組織の中で経験豊富な指導者を意味し,年老,老人,宿老とも書かれ,〈おとな〉と発音される場合もある。室町幕府や江戸幕府,大名家では重臣を年寄,家老老中と称している。また室町時代,江戸時代を通じて宮座,商工業の座,株仲間の重役も年寄と称されており,江戸時代の村落でも庄屋や名主(なぬし)を補佐する役人を村年寄といい,都市の行政単位である町内の行政を担当し,支配機構の末端をになう役人を町(ちよう)年寄と称した。宮座の年寄も老人,宿老と同義語で,若衆,中老などの年齢階梯を通過したものが,最終の年齢集団の年寄衆(老人)に入り,加入順に一老(いちろう)(一﨟(いちろう),一和尉(いちわじよう),一和尚(いちわじよう)),二老,三老などと称され,一老を勤仕したあと年寄から引退する。室町時代の宮座の年寄は村の年寄と一致するが,江戸時代になると宮座の年寄が村の年寄と一致しないのが一般的な形態である。
大人 →宿老
執筆者: 近世の幕府老中,大名家の家老も年寄の一種であるが,側近から取り立てられて幕政や藩政に参与する出頭人(しゆつとうにん)が,本領と自前の軍事力を基盤に発言力を有した中世以来の年寄とともに家老(家のとしより,おとな)と呼ばれるようになったのは,近世の特質である。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「年寄」の意味・わかりやすい解説

年寄
としより

年齢の高い人、経験・知識の豊かな人がもとの意味で、そこから、中世や江戸時代の職制の中核となる人を意味した。(1)公家(くげ)では、天皇の側近でその相談にあずかる人。鎌倉初期、天皇の側近に内覧(ないらん)以下10人の公家を置き議奏(ぎそう)と称したが、これはまた年寄衆、御側(おそば)衆ともよばれた。(2)武家の重臣で政務を統轄する地位。室町幕府では、評定(ひょうじょう)衆、引付(ひきつけ)衆をいい、長老、宿老ともいった。江戸時代には、幕府の大老、老中、若年寄をいい、諸藩の家老を年寄ということもあり、いずれも政務の中心に位置する人をそうよんだ。(3)町や村の行政にあたる中心の人をいう。中世の郷村制では、その指導的地位にたつ人を年寄といい、おとな、刀禰(とね)、肝煎(きもいり)ともいった。江戸時代の町では、町役人を年寄といい、江戸では樽屋(たるや)、奈良(なら)屋、喜多村(きたむら)の三年寄が名主以下を支配し、大坂にも惣(そう)年寄、京都・堺(さかい)・長崎にも町年寄があった。また農村では、村役人である村方三役の一つをいい、村内より3、4人を選び、名主、庄屋(しょうや)を補佐した。関東地方ではこれを組頭ともいった。また江戸後期には、引退した名主、組頭からなる村政相談役を年寄ともいった。(4)以上の諸役から転じて、各種組織の統轄にあたる人を年寄とよんだ。江戸時代の大奥の女中取締りにあたる人を奥女中年寄といい、町人にも問屋場年寄、米相場年寄といった地位があり、各組織の統轄にあたった。

[上杉允彦]

 なお、相撲(すもう)の年寄は、十両以上の力士が引退したあと、定員105名に欠員があれば、名跡を相続し、相撲協会の運営にあたる。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「年寄」の意味・わかりやすい解説

年寄
としより

室町時代中期以降,武家社会をはじめ町や村,あるいは団体などで指導的な立場にあった者の呼称。室町幕府では中期以降,評定衆 (宿老) ,引付衆 (中老) を総称して年寄といったが,のちにはこれが大名家中でも用いられるようになり,さらに一般化して町や村,一般の団体でも用いられるようになった。江戸幕府でも3代将軍徳川家光の頃までは老中のことを年寄と呼び,また,政務見習いに出仕した老中の子息たちを,年寄に対して若年寄といった。この呼称は奥向きにも用いられ,江戸幕府の大奥についていえば,上臈年寄,御年寄,中年寄の称があり,特に旗本などの家から入った御年寄には表向きの老中と対等の待遇が与えられていた。町には町年寄,村には村年寄があり,また,株仲間などにも,その運営にあたる年寄がおかれた。現在でもその呼称は日本相撲協会などに残されている。

年寄
としより

大相撲興行の経営や門弟の養成に従事する者の名称。引退後の力士が名跡を取得して襲名する。親方ともいう。日本相撲協会を構成する。横綱大関三役経験者および幕内通算 20場所または幕内・十両通算 30場所以上務めた力士が有資格者で,名跡が空いている場合にかぎり,襲名できる。ただし,師匠の名跡を継承する場合は,幕内通算 12場所または幕内・十両通算 20場所以上務めた力士に資格が与えられる。なお,名跡に空きがない場合も,横綱 5年間,大関 3年間,力士名のまま年寄資格が得られる。(→相撲

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「年寄」の解説

年寄
としより

1老職とも。江戸幕府初期の職制。戦国大名では老名(おとな)や年寄が大名を補佐する最高の職制であり,豊臣政権でもいわゆる五奉行は年寄ともよばれた。江戸幕府になると本多正純らの徳川家康側近の出頭人が年寄とよばれ,諸大名との取次にあたった。家康死後,職制が整備され,奉書に連署する者が年寄として政務の最高機関となり,寛永10年代前半(1633~38)に老中とよばれるようになった。

2江戸時代の村役人・町役人・宿役人などの称。村役人としての年寄は各村1~3人程度おかれ,村政全般について庄屋・名主の補佐をした。おもに西日本で用いられ,組頭・横目・脇百姓と呼称した地域もある。また江戸・大坂・京都や各地の城下町・宿場町でも町や宿の運営にたずさわる者を年寄とよんだ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「年寄」の解説

年寄
としより

室町時代,郷村制成立期の村落で自治的に名主層から選ばれた代表者の称
長 (おとな) ・乙名 (おとな) ・沙汰人・刀禰 (とね) にあたり,年貢・課役・用水問題などで郷村の利害を代表し運営した。江戸時代の町村にも町年寄・村年寄が置かれた。

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百科事典マイペディア 「年寄」の意味・わかりやすい解説

年寄(日本史)【としより】

村方三役

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世界大百科事典(旧版)内の年寄の言及

【大人∥乙名】より

…もともと集団の中での指導者を指す言葉であり,集団社会では都市・村落・官僚機構を問わず,〈おとな〉が存在した。長百姓,召使の長,平安時代の女房たちの頭,家臣団の長老,町年寄,一門の長者など,すべて〈おとな〉と呼ばれている。とくに中世の村落・都市共同体の中心的構成員や共同体の指導者を指す用語としては,南北朝時代以後,近畿地方の村落においてこの語が頻発する。…

【家老】より

…武家の家臣中での最高職。年寄,老中,宿老ともいう。家老の呼称は,《鎌倉年代記》や《永享記》にみえるのを早い例とする。…

【組頭】より

…組頭の任免は領主の役所に届ければよかった。組頭を年寄,長百姓(おさびやくしよう)などと呼ぶ地域もあった。【木村 礎】。…

【宿場町】より

…その事務をとる所を問屋場という。問屋の補佐役は年寄で,数名のことが多い。実務に当たるものには記帳役の帳付,荷物を人馬に振り分ける馬指(うまさし)や人足指などがいた。…

【上﨟】より

…元来は身分の高い女官の称であるが,江戸時代には幕府の大奥女中の職名の一つ。上﨟年寄,大上﨟,小上﨟などがあった。将軍の正室御台所に近侍してその相談役となる。…

【中老】より

…集団の成員のうち,その運営に発言権をもつ年寄(老(おとな),大人)と若い者の中間に位置し,年寄に次ぐ発言力をもった成員。中年寄。…

【町組】より

…各町組には古町(こちよう)と新町(しんちよう),親町(おやちよう)と子町(こちよう)・枝町(えだちよう)との格差が設けられていた。町(ちょう)【仲村 研】 町組には天文期(1532‐55)にすでに月行事(がちぎようじ)と呼ばれる代表者が置かれ,町の年寄が輪番で当たった。月行事は年頭に将軍らに拝礼したほか,町入費を町々に割りかける〈大割(勘定)寄合〉を催し,公武衆からは〈上下京宿老〉(《言継卿記》)などとも呼ばれた。…

【町名主】より

…農村を支配する名主と区別して町名主と呼んだ。職名も都市により相違があり,大坂では町年寄,岡山では名主年寄,仙台では検断・肝煎(きもいり),若松では検断,名古屋・犬山・長岡では町代,姫路では年寄,金沢では肝入,岡崎・飯田では庄屋,駿府では丁頭など多様な名称が用いられている。 1590年(天正18)徳川家康が江戸に入ったとき,町の支配役としては(1)入国以前から江戸にいた者から取り立てられた者がおり,さらに(2)家康入国後命ぜられた者,(3)江戸で町屋が建設されるさいに町役頭ないし名主と呼ばれた者がいた。…

【村方三役】より

…近世の村役人。名主(庄屋,肝煎(きもいり)),組頭(長(おとな)百姓,年寄),百姓代の総称。(1)名主・庄屋は村の長で,初期には前代の名主百姓や荘園の下司(げし)の系譜を引く有力農民がその地位についた。…

【老中】より

…江戸幕府の職制。年寄,宿老,閣老,執政とも呼ばれ,全国を統治する徳川氏将軍家の〈老〉(としより,おとな)として,将軍に直属してその信任のもとに,所司代,三奉行,遠国奉行,大目付などを指揮して国政を統轄した(老中の〈中〉は〈連中〉〈若者中〉などというように集合を表し,また〈――衆〉のように敬意を表す機能をもつ)。また加判の列とも呼ばれたが,これは老中連署奉書(老中奉書)に署名し,判(花押)を加える者という意味である。…

【若年寄】より

…老中に次ぐ重職。老中が朝廷,寺社,諸大名など幕府外部の諸勢力を管轄することによって国政を担当したのに対して,若年寄は,旗本,御家人などを指揮,管理することにより,将軍家の家政機関としての幕府内部のことを掌握した。若年寄の職名と職掌は,3代将軍徳川家光の時代の六人衆に起源する。…

※「年寄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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