日本歴史地名大系 「山賀庄」の解説 山賀庄やまがのしよう 滋賀県:守山市山賀村山賀庄現山賀町を遺称地とする園城(おんじよう)寺領の庄園で、現杉江(すぎえ)町も含まれる。建武四年(一三三七)二月晦日、足利尊氏から園城寺に造営料として山賀庄猷覚跡が寄進された(「足利尊氏寄進状」園城寺文書)。庄内椙江(すぎえ)村の知行をめぐる米積法橋定教と園城寺の争いは貞和二年(一三四六)一〇月二七日園城寺勝訴で決着した(「足利直義下知状」密井文書)。また文和元年(一三五二)一〇月六日足利義詮から山賀郷地頭職が同寺に寄進された(「足利義詮寄進状」園城寺文書)。しかし翌一一月になって郷内地頭一色田(号光武)が守護方の桐原五郎左衛門尉により半済として押領されたとして、その濫妨停止の訴えが園城寺から幕府に出されている(「園城寺所司等言上状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報