日本歴史地名大系 「山賀村」の解説 山賀村やまがむら 滋賀県:守山市山賀村[現在地名]守山市山賀町杉江(すぎえ)村の南西に位置。西は琵琶湖に面する。村名は最澄が山坊六ヵ坊(勝光・竹林・教月・蓮心・源意・長持)を建立し、「山家」と称したことにちなむという。長禄四年(一四六〇)本願寺蓮如が「野洲南郡山家道場」の道乗に十字名号(慶先寺蔵)を下付している。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「六百九石七斗壱升 山賀」とある。寛永石高帳によれば高六四七石余で、旗本木下領。反別は田五九二石余・畑五五石余(慶安高辻帳)。木下氏は当村に陣屋を置いており、寛永三年(一六二六)には山賀のほか堤(つつみ)・吉地(よしじ)(現野洲郡中主町)、霊仙寺(りようせんじ)(現栗太郡栗東町)、穴(あな)(現草津市)、横江(よこえ)・大林(おおばやし)・戸田(とだ)の各村に計三千石を拝領していた(寛政重修諸家譜)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報