工藤外三郎(読み)クドウ トサブロウ

20世紀日本人名事典 「工藤外三郎」の解説

工藤 外三郎
クドウ トサブロウ

明治〜昭和期の内科学者 京都府立医専校長



生年
明治5年3月14日(1872年)

没年
昭和7(1932)年12月28日

出身地
京都府

旧姓(旧名)

学歴〔年〕
東京帝大医科〔明治30年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治43年〕

経歴
紀重孝の子に生まれ、のち工藤則勝の養嗣子となる。岐阜県立病院内科医長、京都市立日吉病院院長などを務め、明治39年から2年間ドイツに留学する。大正3年京都府立医学専門学校(現・京都府立医科大学)校長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学位 旧名

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤外三郎」の解説

工藤外三郎 くどう-とさぶろう

1872-1932 明治-昭和時代前期の内科学者。
明治5年3月14日生まれ。岐阜県立病院内科医長,京都市立日吉病院長などをつとめ,明治39年から2年間ドイツに留学。大正3年京都府立医専(現京都府立医大)校長となった。昭和7年12月28日死去。61歳。京都出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む