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留学 りゅうがく study abroad

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

留学
りゅうがく
study abroad

一定期間,外国に行って教育を受け,または研究に従事すること。資金によって国費,給費,私費の別がある。国費による場合は文部科学省在外研究員であり,給費の場合には自国の公私の諸団体から支給されるものと,相手国の政府や団体によって保証されるものとがある。

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デジタル大辞泉の解説

りゅう‐がく〔リウ‐〕【留学】

[名](スル)他の土地、特に外国に在留して学ぶこと。「イギリスへ―する」「内地―」

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百科事典マイペディアの解説

留学【りゅうがく】

外国において学術・技芸を学ぶこと。官費・私費の別がある。日本では古く遣隋使遣唐使留学生を同行させた。幕末の開国以後,欧米への留学が始まり,維新後,政府は西洋文明吸収のため留学を奨励,海外留学生規則(1870年)により官費留学を制度化。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうがく【留学】

よその土地の学校等へ赴き,知識や技能の学習・研究を行うこと。国内での遊学・研修などを含むこともあるが,一般的には外国の学校等での在留,修学をいう。留学の歴史は古く,日本では後述のように遣隋使,遣唐使に始まる。西洋でもギリシア以来,学問修行のための人間の移動は盛んに行われ,また,中世における12~14世紀の大学の成立と発展は,民族や文化の壁を超えて,若者たちの遍歴(放浪学生)と留学に支えられたものだった。

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大辞林 第三版の解説

りゅうがく【留学】

( 名 ) スル
よその土地、特に外国へ行って、ある程度長い期間勉強すること。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

留学
りゅうがく

平安初期に編集された『続日本紀(しょくにほんぎ)』(巻33)に、「吉備真備(きびのまきび)使いに従いて唐に入り、留学して業を受く」という一文がみられるように、日本では早くから留学ということばが用いられている。留学とは、文字どおり「留(とど)まり学ぶ」ことであり、現在では外国の学問・芸術・技術・制度などを摂取するために、比較的長期間にわたって外国に在留し、大学等の教育機関や研究所で勉学または研究することをいう。
 留学は、その目的からみると、伝統的な先進文化吸収型と、地域研究を主とする異文化理解型とに大別できる。前者は、開発途上国が若いエリートを海外へ派遣し、先進諸国の優れた文化を吸収することを目的とするものである。これに対し、後者は、先進国と開発途上国とを問わず、特定の国や地域の言語・芸術・社会制度などを深く研究し、異文化の理解に資することを目的としている。国際化時代を迎えた今日においては、伝統的な先進文化吸収型とともに、異文化理解型の留学も盛んになっている。[沖原 豊・二宮 皓]

歴史

わが国の海外留学の歴史は、607年(推古天皇15)に聖徳太子が小野妹子(いもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣した当時にさかのぼることができる。ついで630年(舒明天皇2)に第一次遣唐使が送られ、爾来(じらい)約300年間中国との交流が盛んに行われた。遣隋使・遣唐使には多くの留学僧や留学生が同行し、隋や唐の進んだ制度・文物を学び、日本の文化の発展に大きな貢献をなした。
 しかし、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられた菅原道真(すがわらのみちざね)の進言により遣唐使の派遣が廃止されるに及んで、中国との交流も中止され、さらに江戸時代の鎖国政策の徹底に伴って留学の道も閉ざされてしまった。こうした長い空白ののち、幕末に至って、少人数ではあるが、幕府や諸藩による留学生の派遣が再開され、西周助(周(あまね))、伊藤俊輔(しゅんすけ)(博文(ひろぶみ))、森金之丞(有礼(ありのり))、高橋是清(これきよ)らが欧米諸国へ留学した。
 明治維新後は、欧米の先進諸国に追い付くために文明開化政策がとられ、明治政府により、積極的に留学生の派遣が行われた。これらの留学生のなかには菊池大麓(だいろく)、西園寺公望(さいおんじきんもち)、津田梅子、東郷平八郎らがおり、帰国後、各分野で指導的立場につき、日本の近代化を推し進めた。海外留学生の管轄は、当初は外務省が行っていたが、1872年(明治5)の「学制」発布後は文部省の所管となった。さらに文部省は翌73年に「海外留学生規則」を定め、この制度により、昭和に至るまで3000人を超える留学生が海外へ渡航した。しかし、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とともに、こうした留学も中止のやむなきに至った。
 第二次世界大戦後、1949年(昭和24)に、アメリカ政府のガリオア・エロア基金によりアメリカ留学が再開され、引き続いて、外国政府による奨学金制度(育英制度)、民間団体による各種基金、文部省(現文部科学省)の学生交流制度、私費などによる留学が盛んに行われるようになり、留学生数も毎年増加している。[沖原 豊・二宮 皓]

日本人学生の海外留学等

日本人が海外へ留学する数は、1996年(平成8)の統計によると、留学(3か月以上)が4481人、研修(3か月未満)が3万4110人となっている。留学先は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、カナダなど英語圏が圧倒的に多く、全体のおよそ80%を占める。
 留学の方法としては、日本政府奨学金によるもの、外国政府奨学金によるもの、民間団体奨学金によるもの、私費によるものがあるが、海外への留学としては私費によるものがもっとも多い。[沖原 豊・二宮 皓]
日本政府奨学金による留学
日本政府(文部科学省)による日本人学生の海外派遣制度としては、「アジア諸国等派遣留学生制度」および「短期留学推進制度」がある。前者は大学院学生等をアジア諸国に2年間留学させる制度(年間17人)である。短期留学推進制度は、学部または大学院学生を年間250人程度派遣する制度であり、学生の相互交流を支援するために、大学間の学生交流協定に基づき1年間海外の大学に学生を派遣する。大学内での選考ののち文部科学省に推薦、留学の際には往復の航空券と滞在費が奨学金として支給される。
 また多くの大学にあっては、海外の大学と協定を締結し、1か月から3か月程度の英語学習を中心とするコースに学生を派遣し、取得した単位を大学の単位として認定する語学研修留学プログラムを開発し、国際化時代に即した人材の育成に努力している。[沖原 豊・二宮 皓]
外国政府奨学金による留学
外国政府の奨学金により海外に留学するプログラムも少なくない。主要なものとして、アメリカのフルブライト奨学金、イギリスのブリティッシュ・カウンシル奨学金、ドイツのドイツ学術交流会(DAAD)奨学金、フランスの政府奨学金などがある。[沖原 豊・二宮 皓]
民間団体奨学金による留学
民間団体の奨学金を得て海外留学する者は、毎年300~350人に上る。奨学金を授与するおもな民間団体としては、大学・大学院の学生を世界各国へ留学させる国際ロータリー財団ならびに国際文化教育交流財団や、大学・短期大学・高等専門学校の学生をアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスへ留学させるサンケイ・スカラシップ、ニューヨークに国際本部を置く非営利の国際教育交流機関アメリカン・フィールド・サービス(AFS)などがある。AFSは高校生を対象に海外への留学および日本への留学生の受け入れを行うプログラムであり、日本では財団法人エイ・エフ・エス日本協会によって推進されている。AFSは日本人高校生を世界各国に1か月から1年派遣し、一般家庭でのホームステイや現地の高校への体験入学などを通じて生徒の国際理解を育て、日本と諸外国の相互理解を促進することを目的とする。[沖原 豊・二宮 皓]

外国人留学生の受け入れ

外国人の日本留学は、1895年(明治28)に渡来した朝鮮留学生(114人)が最初であった。その後、日清(にっしん)・日露戦争後の日本の国際的地位の向上に伴って、中国人留学生が漸増し、1906年(明治39)にはその数が約1万人に達したといわれている。しかし、日中戦争などの影響により、外国人留学生はしだいに減少した。
 やがて第二次世界大戦が終わり、1954年度(昭和29)から国費外国人留学生制度が設けられ、世界各国からの留学生招致事業が再開されることとなった。以降、日本政府は多くの留学生を招聘(しょうへい)すべき施策を講じ、それが一因ともなって留学生数は毎年増加し、1983年に初めて1万人を超えた。その後、87年に2万人、89年に3万人、さらに90年に4万人を超え、92年(平成4)には5万人を超えた。こうした急激な留学生数の増大の背景には、1983年中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣の下に、21世紀初頭までに日本の大学等で10万人以上の留学生を受け入れるという「留学生受入れ10万人計画」が策定され、留学生政策が強力に推進されたことにもよる。しかしその後、アジアの金融・経済危機などの影響により、韓国や中国などアジア諸国からの留学生が帰国するなど留学生異変が起こり、橋本龍太郎内閣はアジアの留学生に一時金を支援するなどの施策を講じた。それでも留学生の急激な減少を食い止めることができず、留学生の統計史上初めてその数の伸びに陰りがみえ、さらに減少期を迎えることとなった。1995年(平成7)に5万3847人を数えた留学生は、翌96年には5万2021人、さらに97年には5万1047人へと減少した。しかしアジアの経済危機も克服されるにつれ、98年にはふたたび留学生数も増加傾向に転じ、5万1298人まで回復した。文部省は1999年の留学生政策懇談会の提言「知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策」を受けて、さらなる留学生受け入れ政策を展開することで、改めて留学生10万人計画の戦略を立て直すこととなった。
 1999年(平成11)の留学生統計によると、外国人留学生の数は5万5755人で、その出身国・地域は、中国(46.5%)、韓国(21.3%)、台湾(7.3%)、マレーシア(3.6%)、インドネシア(2.2%)、タイ(2%)、アメリカ合衆国(1.9%)、バングラデシュ(1.5%)、ベトナム(1%)、フィリピン(0.9%)、その他(11.8%)となっており、アジアからの留学生が全体の約90%を占めている(中国の留学生数は香港を含む)。留学生の多くは私費留学生であり、国費留学生はわずか8323人である。
 外国人留学生を受け入れる制度としては、次のようなものがある。[沖原 豊・二宮 皓]
国費外国人留学生制度
国費外国人留学生制度に基づき、外国人留学生に対して日本政府(文部科学省)奨学金が授与されている。この制度によって、1978年(昭和53)から1999年度末までにおよそ130の国・地域から合計約9万9000人の留学生を受け入れている。国費外国人留学生は、次のように大別される。
(1)研究留学生 各国の大学卒業以上の者を対象とし、わが国の大学院等で専門分野の研究指導を受けるものであり、期間は日本語の予備教育期間を含めて2年間以内である(大学院に入学すれば奨学金の支給期間は延長される)。
(2)学部留学生 主として東南アジアや中南米の開発途上国の高等学校卒業程度の者を対象とし、わが国の大学学部において教育を受けるものであり、期間は日本語予備教育を含めて5年間である。選考では日本語のみならず、教科(世界史、英語、数学など)の試験を受ける。来日後は東京外国語大学、大阪外国語大学で1年間の予備教育を受け、各大学の入学試験の準備をする。
(3)日本語・日本文化研修留学生 主として外国の大学の学部在籍者で、日本語・日本文化を履習中の者を対象とし、1年間わが国の大学等で日本語能力および日本事情・日本文化の理解を深める指導を受けるものである(1979年から受け入れ開始)。
(4)教員研修留学生 開発途上国の現職の初等・中等学校教員および教員養成機関の教員や教育行政官等を対象とし、1年半以内わが国の教員養成大学等で教育方法、教科教育、学校経営などの専門科目に関する指導を受けるものである(1980年から受け入れ開始)。
(5)高等専門学校留学生 主としてアジア諸国の高等学校卒業程度の者で、わが国の高等専門学校の3年次に編入学して教育を受けるもので、期間は日本語教育を含め3年半である(1982年から受け入れ開始)。高等専門学校を卒業した留学生は、さらに大学の工学部の3年次編入学をすることで勉学を継続する者が少なくない。また、本国において大学の学部を卒業してこのプログラムに応募する者も多い。
(6)専修学校留学生 主としてアジア・太平洋地域の高等学校卒業程度の者を対象とし、わが国の専修学校の専門課程で教育を受けるもので、期間は日本語教育を含め2年半である(1982年から受け入れ開始)。
 これら国費外国人留学生の待遇は年々改善され、諸外国と比較しても遜色(そんしょく)のない奨学金制度となっている(2000年度、研究留学生で月額18万5500円、学部留学生で14万2500円支給)。さらに往復渡航旅費、渡日一時金、研究旅費、宿舎補助金、医療費補助も与えられている。[沖原 豊・二宮 皓]
私費外国人留学生
私費(自費)による留学生は、1999年(平成11)で4万5439人、外国政府派遣による私費留学生が1542人となっている。外国政府派遣留学生は諸外国が人材育成を目的として、当該政府の経費負担により派遣される留学生であるが、事務上は私費留学生に含まれる。現在では、中国、マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール、アラブ首長国連邦、クウェートおよびウズベキスタンから政府派遣留学生を受け入れている。マレーシアは従来イギリスに多くの留学生を派遣してきたが、留学生に対する授業料の増額などイギリス政府の政策転換の影響もあり、「ルック・イースト政策」(東方重視政策)の下に日本に多くの留学生を派遣するという方針転換がなされている。また、私費留学生に対する日本の各種団体・財団による奨学金などの支援が拡充され、多くの私費留学生がその恩恵にあずかっている。おもなものとして、ロータリー米山(よねやま)記念奨学会、とうきゅう外来留学生奨学財団、国際文化教育交流財団、サトー国際奨学財団などがあげられる。これらのほか、各都道府県の外郭団体である国際交流団体による私費留学生奨学金も少なくないし、大学にあっても職員の寄付によって留学生に奨学金を支給する活動を行っている学校もある。
 私費留学生のなかには財団法人日本国際教育協会が実施している短期留学推進制度による留学生も含まれている。この制度は日本の国公私立大学が協定を締結している外国大学の在籍学生を、海外の大学に在籍させたまま、おおむね6か月以上1年以内交換留学生として受け入れるものである。受け入れにあたっては、渡航費(航空券)、奨学金(月額8万円)および渡日一時金(2万5000円)が支給され、年間2000人近い留学生がこの事業で招聘されている。日本の大学はこの奨学金制度を利用して、海外の大学と授業料の相互徴収や単位互換制度などを柱とする学生交流協定を締結し、学生の相互交流を積極的に行っている。授業料の相互徴収とは、留学先の大学の授業料は免除されるが、それぞれ在籍する大学には授業料を納める制度である。1997年(平成9)でみると日本の大学が締結している交流協定数は4946件である。一方、アジア・太平洋地域の大学間における学生・教育者・研究者の交流促進を目的とした任意団体アジア太平洋大学交流機構University Mobility in Asia and the Pacific(UMAP)が1991年(平成3)に組織されて以降、単位互換の新たな方式が開発され、より効率的な学生交流が行われつつある。UMAPは加盟国29か国、国際事務局は日本に設置されている。
 また、日本国際教育協会の事業の一つとして1998年(平成10)から「学習奨励費」(学業成績優秀で生活困窮の者が対象)が支給されるようになり、多くの私費留学生が勉学に専心できるようになった。その額は学部生で月額4万9000円、大学院生で7万円、年間およそ9600人に支給されている(2000年現在)。
 私費留学生は学費を自弁しなくてはならないため、必然的にアルバイトをすることになるが、従来は1日4時間以内という規制があったため、土曜日や日曜日に長時間就労することができなかった。しかしその後、入国管理局の指導で、週に28時間までは就労することが許されるようになり弾力化が図られてきたが、もちろん風俗営業等の就労は認められていない。また日本の大学を卒業・修了した留学生がさらに企業等での研修のため、日本に2年間まで在留して働くことができるようになった。留学生の就労問題は、大学受験の準備も行う日本語学校で学ぶ就学生の就労が社会問題化したことがあるが、全体的にはしだいに改善されつつあるといえよう。
 いずれにしても、経済的な困難を抱える私費留学生に対するこれら支援や施策の弾力化によって、60%近くの私費留学生がなんらかの財政支援を受けたり、ほとんどの留学生が勉学の経費を日本で得ることが可能となったことは注目に値する。留学生の就労が認められていないアメリカと比較しても、日本の留学生政策はこの点でたいへん大きな特色をもつものといえる。日本に留学した場合、1年を経ればこうした各種奨学金の申請が可能であり、留学生が安心して勉学に励むことができるシステムが整いつつある。[沖原 豊・二宮 皓]

課題

脱亜入欧以来の近代における留学にみられる、欧米を中心としたわが国の留学文化は今日でも変化していない。さらに国際化・グローバル化が進むなかで、英語の果たす役割が多くなるとともに、ますます英語圏への留学を希望するものが増大しているのも事実である。エラスムス計画(The Europian Community Action Scheme for the Mobility of University Student=ERASMUS)による留学生交流を推進しているEU諸国にあってもこの傾向は同様である。日本の留学生派遣の課題の一つは、80%以上もの留学生が欧米を留学先に選ぶという事実をふまえながら、いかにしてアジア・太平洋地域への留学生派遣を増やすかにある。アジアを理解できる日本人を多く育成することは、今後の日本の将来にとってきわめて重要な課題である。
 また、日本を訪れる留学生の90%以上がアジアからの留学生であることから、アジア以外の諸国からの留学生の受け入れをどのように促進するかも課題の一つとなっている。さらに「留学生受入れ10万人計画」を背景として、留学生数を倍増させるための各種の施策が実施されるとともに、留学生を受け入れることが大学の教育研究にとってどれほど重要であるかを日本の大学が認識し、積極的な留学生受け入れ態勢を整備しなくてはならないであろう。国際社会に通用し、世界で信頼される大学であるためには、世界中からの多くの留学生が学ぶ大学であるという評価が必要である。大学評価においても留学生の受け入れは重要な指標の一つとなっている。
 前述した留学生政策懇談会の提言「知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策」(1999)は、「留学生受入れ10万人計画」の実現のためには、以下のような施策が必要であるとしている。
(1)大学の国際競争力の強化を図るため、(a)魅力ある教育プログラムの開発と普及、(b)留学生のハンディキャップ等への配慮、(c)受け入れ態勢の整備と自己評価の改善、などを行う。
(2)世界に開かれた留学生制度の構築。
(3)留学生支援の充実のため、官民一体となった施策を展開すること。
 この留学生政策懇談会の提言は、留学を「知的国際貢献」と位置づけ、「留学生を受け入れる」という視座から一歩進めて「留学生を惹(ひ)きつける」という視点を提起している。大学は地域社会の協力を得ながら、自らの教育や研究の水準を高め、また留学生のニーズに真剣にこたえることのできる教育体制を構築し、世界から多くの優秀な留学生が学びにくるような大学づくりを考えなくてはならない。21世紀の大学が生き残るためには、日本人学生のみならず留学生のニーズにどのようにこたえるか、その戦略と精神を打ち立てなければならない。[二宮 皓]
『大村喜吉著『日本の留学生』(1967・早川書房) ▽石附実著『近代日本の海外留学史』(中公文庫) ▽永井道雄他著『アジア留学生と日本』(1973・日本放送出版協会) ▽文部省留学生課編・刊『21世紀への留学生政策』(1987) ▽権藤與志夫編『世界の留学』(1991・東信堂) ▽ICS国際文化教育センター編『アメリカ留学年鑑 96―97』(1995・三修社) ▽ICS国際文化教育センター編『フランス留学』(1995・三修社) ▽毎日コミュニケーションズ編・刊『毎日留学年鑑』 ▽文部省編・刊『知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策』(1999)』

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世界大百科事典内の留学の言及

【南方特別留学生】より

…太平洋戦争のさなかの1943年2月,日本の軍部,大東亜省,文部省間で協議された〈南方特別留学生育成事業〉という政令により制定された,東南アジア諸国から日本への留学生制度。その趣旨は南方諸地域より選抜された有為な青少年を〈我国ニ留学セシメ,(中略)我学芸及ビ実務ヲ習得セシムルト共ニ我国民性ノ真髄ニ触レシメ,以テ帰国後ハ原住民ヲ率ヒ,大東亜共栄圏建設ニ協力邁進スベキ人材ヲ育成スル〉ことであった。…

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