留学(読み)りゅうがく

日本大百科全書(ニッポニカ)「留学」の解説

留学
りゅうがく

平安初期に編集された『続日本紀(しょくにほんぎ)』(巻33)に、「吉備真備(きびのまきび)使いに従いて唐に入り、留学して業を受く」という一文がみられるように、日本では早くから留学ということばが用いられている。留学とは、文字どおり「留(とど)まり学ぶ」ことであり、現在では外国の学問・芸術・技術・制度などを摂取するために、比較的長期間にわたって外国に在留し、大学等の教育機関や研究所で勉学または研究することをいう。

 留学は、その目的からみると、伝統的な先進文化吸収型と、地域研究を主とする異文化理解型とに大できる。前者は、開発途上国が若いエリートを海外へ派遣し、先進諸国の優れた文化を吸収することを目的とするものである。これに対し、後者は、先進国と開発途上国とを問わず、特定の国や地域の言語・芸術・社会制度などを深く研究し、異文化の理解に資することを目的としている。国際化時代を迎えた今日においては、伝統的な先進文化吸収型とともに、異文化理解型の留学も盛んになっている。

[沖原 豊・二宮 皓]

歴史

日本の海外留学の歴史は、607年(推古天皇15)に聖徳太子が小野妹子(いもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣した当時にさかのぼることができる。ついで630年(舒明天皇2)に第一次遣唐使が送られ、爾来(じらい)約300年間中国との交流が盛んに行われた。遣隋使・遣唐使には多くの留学僧や留学生が同行し、隋や唐の進んだ制度・文物を学び、日本の文化の発展に大きな貢献をなした。

 しかし、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられた菅原道真(すがわらのみちざね)の進言により遣唐使の派遣が廃止されるに及んで、中国との交流も中止され、さらに江戸時代の鎖国政策の徹底に伴って留学の道も閉ざされてしまった。こうした長い空白ののち、幕末に至って、少人数ではあるが、幕府や諸藩による留学生の派遣が再開され、西周助(周(あまね))、伊藤俊輔(しゅんすけ)(博文(ひろぶみ))、森金之丞(有礼(ありのり))、高橋是清(これきよ)らが欧米諸国へ留学した。

 明治維新後は、欧米の先進諸国に追い付くために文明開化政策がとられ、明治政府により、積極的に留学生の派遣が行われた。これらの留学生のなかには菊池大麓(だいろく)、西園寺公望(さいおんじきんもち)、津田梅子、東郷平八郎らがおり、帰国後、各分野で指導的立場につき、日本の近代化を推し進めた。海外留学生の管轄は、当初は外務省が行っていたが、1872年(明治5)の「学制」発布後は文部省の所管となった。さらに文部省は翌1873年に「海外留学生規則」を定め、この制度により、昭和に至るまで3000人を超える留学生が海外へ渡航した。しかし、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とともに、こうした留学も中止のやむなきに至った。

 第二次世界大戦後、1949年(昭和24)に、アメリカ政府のガリオア・エロア基金によりアメリカ留学が再開され、引き続いて、外国政府による奨学金制度(育英制度)、民間団体による各種基金、文部省(現、文部科学省)の学生交流制度、私費などによる留学が盛んに行われるようになり、留学生数も毎年増加している。

[沖原 豊・二宮 皓]

日本人学生の海外留学等

日本人が海外へ留学する数は、1996年(平成8)の統計によると、留学(3か月以上)が4481人、研修(3か月未満)が3万4110人となっている。留学先は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、カナダなど英語圏が圧倒的に多く、全体のおよそ80%を占める。

 留学の方法としては、日本政府奨学金によるもの、外国政府奨学金によるもの、民間団体奨学金によるもの、私費によるものがあるが、海外への留学としては私費によるものがもっとも多い。

[沖原 豊・二宮 皓]

日本政府奨学金による留学

日本政府(文部科学省)による日本人学生の海外派遣制度としては、「アジア諸国等派遣留学生制度」および「短期留学推進制度」がある。前者は大学院学生等をアジア諸国に2年間留学させる制度(年間17人)である。短期留学推進制度は、学部または大学院学生を年間250人程度派遣する制度であり、学生の相互交流を支援するために、大学間の学生交流協定に基づき1年間海外の大学に学生を派遣する。大学内での選考ののち文部科学省に推薦、留学の際には往復の航空券と滞在費が奨学金として支給される。

 また多くの大学にあっては、海外の大学と協定を締結し、1か月から3か月程度の英語学習を中心とするコースに学生を派遣し、取得した単位を大学の単位として認定する語学研修留学プログラムを開発し、国際化時代に即した人材の育成に努力している。

[沖原 豊・二宮 皓]

外国政府奨学金による留学

外国政府の奨学金により海外に留学するプログラムも少なくない。主要なものとして、アメリカのフルブライト奨学金、イギリスのブリティッシュ・カウンシル奨学金、ドイツのドイツ学術交流会(DAAD)奨学金、フランスの政府奨学金などがある。

[沖原 豊・二宮 皓]

民間団体奨学金による留学

民間団体の奨学金を得て海外留学する者は、毎年300~350人に上る。奨学金を授与するおもな民間団体としては、大学・大学院の学生を世界各国へ留学させる国際ロータリー財団ならびに国際文化教育交流財団や、大学・短期大学・高等専門学校の学生をアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスへ留学させるサンケイ・スカラシップ、ニューヨークに国際本部を置く非営利の国際教育交流機関アメリカン・フィールド・サービス(AFS)などがある。AFSは高校生を対象に海外への留学および日本への留学生の受け入れを行うプログラムであり、日本では財団法人エイ・エフ・エス日本協会によって推進されている。AFSは日本人高校生を世界各国に1か月から1年派遣し、一般家庭でのホームステイや現地の高校への体験入学などを通じて生徒の国際理解を育て、日本と諸外国の相互理解を促進することを目的とする。

[沖原 豊・二宮 皓]

外国人留学生の受け入れ

外国人の日本留学は、1895年(明治28)に渡来した朝鮮留学生(114人)が最初であった。その後、日清(にっしん)・日露戦争後の日本の国際的地位の向上に伴って、中国人留学生が漸増し、1906年(明治39)にはその数が約1万人に達したといわれている。しかし、日中戦争などの影響により、外国人留学生はしだいに減少した。

 やがて第二次世界大戦が終わり、1954年度(昭和29)から国費外国人留学生制度が設けられ、世界各国からの留学生招致事業が再開されることとなった。以降、日本政府は多くの留学生を招聘(しょうへい)すべき施策を講じ、それが一因ともなって留学生数は毎年増加し、1983年に初めて1万人を超えた。その後、1987年に2万人、1989年に3万人、さらに1990年に4万人を超え、1992年(平成4)には5万人を超えた。こうした急激な留学生数の増大の背景には、1983年中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣の下に、21世紀初頭までに日本の大学等で10万人以上の留学生を受け入れるという「留学生受入れ10万人計画」が策定され、留学生政策が強力に推進されたことにもよる。しかしその後、アジアの金融・経済危機などの影響により、韓国や中国などアジア諸国からの留学生が帰国するなど留学生異変が起こり、橋本龍太郎内閣はアジアの留学生に一時金を支援するなどの施策を講じた。それでも留学生の急激な減少を食い止めることができず、留学生の統計史上初めてその数の伸びに陰りがみえ、さらに減少期を迎えることとなった。1995年に5万3847人を数えた留学生は、翌1996年には5万2021人、さらに1997年には5万1047人へと減少した。しかしアジアの経済危機も克服されるにつれ、1998年にはふたたび留学生数も増加傾向に転じ、5万1298人まで回復した。文部省は1999年の留学生政策懇談会の提言「知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策」を受けて、さらなる留学生受け入れ政策を展開することで、改めて留学生10万人計画の戦略を立て直すこととなった。

 1999年(平成11)の留学生統計によると、外国人留学生の数は5万5755人で、その出身国・地域は、中国(46.5%)、韓国(21.3%)、台湾(7.3%)、マレーシア(3.6%)、インドネシア(2.2%)、タイ(2%)、アメリカ合衆国(1.9%)、バングラデシュ(1.5%)、ベトナム(1%)、フィリピン(0.9%)、その他(11.8%)となっており、アジアからの留学生が全体の約90%を占めている(中国の留学生数は香港を含む)。留学生の多くは私費留学生であり、国費留学生はわずか8323人である。

 外国人留学生を受け入れる制度としては、次のようなものがある。

[沖原 豊・二宮 皓]

国費外国人留学生制度

国費外国人留学生制度に基づき、外国人留学生に対して日本政府(文部科学省)奨学金が授与されている。この制度によって、1978年(昭和53)から1999年度末までにおよそ130の国・地域から合計約9万9000人の留学生を受け入れている。国費外国人留学生は、次のように大別される。

(1)研究留学生 各国の大学卒業以上の者を対象とし、日本の大学院等で専門分野の研究指導を受けるものであり、期間は日本語の予備教育期間を含めて2年間以内である(大学院に入学すれば奨学金の支給期間は延長される)。

(2)学部留学生 主として東南アジアや中南米の開発途上国の高等学校卒業程度の者を対象とし、日本の大学学部において教育を受けるものであり、期間は日本語予備教育を含めて5年間である。選考では日本語のみならず、教科(世界史、英語、数学など)の試験を受ける。来日後は東京外国語大学、大阪外国語大学で1年間の予備教育を受け、各大学の入学試験の準備をする。

(3)日本語・日本文化研修留学生 主として外国の大学の学部在籍者で、日本語・日本文化を履習中の者を対象とし、1年間日本の大学等で日本語能力および日本事情・日本文化の理解を深める指導を受けるものである(1979年から受け入れ開始)。

(4)教員研修留学生 開発途上国の現職の初等・中等学校教員および教員養成機関の教員や教育行政官等を対象とし、1年半以内、日本の教員養成大学等で教育方法、教科教育、学校経営などの専門科目に関する指導を受けるものである(1980年から受け入れ開始)。

(5)高等専門学校留学生 主としてアジア諸国の高等学校卒業程度の者で、日本の高等専門学校の3年次に編入学して教育を受けるもので、期間は日本語教育を含め3年半である(1982年から受け入れ開始)。高等専門学校を卒業した留学生は、さらに大学の工学部の3年次編入学をすることで勉学を継続する者が少なくない。また、本国において大学の学部を卒業してこのプログラムに応募する者も多い。

(6)専修学校留学生 主としてアジア・太平洋地域の高等学校卒業程度の者を対象とし、日本の専修学校の専門課程で教育を受けるもので、期間は日本語教育を含め2年半である(1982年から受け入れ開始)。

 これら国費外国人留学生の待遇は年々改善され、諸外国と比較しても遜色(そんしょく)のない奨学金制度となっている(2000年度、研究留学生で月額18万5500円、学部留学生で14万2500円支給)。さらに往復渡航旅費、渡日一時金、研究旅費、宿舎補助金、医療費補助も与えられている。

[沖原 豊・二宮 皓]

私費外国人留学生

私費(自費)による留学生は、1999年(平成11)で4万5439人、外国政府派遣による私費留学生が1542人となっている。外国政府派遣留学生は諸外国が人材育成を目的として、当該政府の経費負担により派遣される留学生であるが、事務上は私費留学生に含まれる。現在では、中国、マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール、アラブ首長国連邦、クウェートおよびウズベキスタンから政府派遣留学生を受け入れている。マレーシアは従来イギリスに多くの留学生を派遣してきたが、留学生に対する授業料の増額などイギリス政府の政策転換の影響もあり、「ルック・イースト政策」(東方重視政策)の下に日本に多くの留学生を派遣するという方針転換がなされている。また、私費留学生に対する日本の各種団体・財団による奨学金などの支援が拡充され、多くの私費留学生がその恩恵にあずかっている。おもなものとして、ロータリー米山(よねやま)記念奨学会、とうきゅう外来留学生奨学財団、国際文化教育交流財団(現、経団連国際文化教育交流財団)、サトー国際奨学財団などがあげられる。これらのほか、各都道府県の外郭団体である国際交流団体による私費留学生奨学金も少なくないし、大学にあっても職員の寄付によって留学生に奨学金を支給する活動を行っている学校もある。

 私費留学生のなかには財団法人日本国際教育協会(現、学生支援機構(JASSO(ジャッソ)))が実施している短期留学推進制度による留学生も含まれている。この制度は日本の国公私立大学が協定を締結している外国大学の在籍学生を、海外の大学に在籍させたまま、おおむね6か月以上1年以内交換留学生として受け入れるものである。受け入れにあたっては、渡航費(航空券)、奨学金(月額8万円)および渡日一時金(2万5000円)が支給され、年間2000人近い留学生がこの事業で招聘されている。日本の大学はこの奨学金制度を利用して、海外の大学と授業料の相互徴収や単位互換制度などを柱とする学生交流協定を締結し、学生の相互交流を積極的に行っている。授業料の相互徴収とは、留学先の大学の授業料は免除されるが、それぞれ在籍する大学には授業料を納める制度である。1997年(平成9)でみると日本の大学が締結している交流協定数は4946件である。一方、アジア・太平洋地域の大学間における学生・教育者・研究者の交流促進を目的とした任意団体アジア太平洋大学交流機構University Mobility in Asia and the Pacific(UMAP)が1991年(平成3)に組織されて以降、単位互換の新たな方式が開発され、より効率的な学生交流が行われつつある。UMAPは加盟国29か国、国際事務局は日本に設置されている。

 また、日本国際教育協会の事業の一つとして1998年(平成10)から「学習奨励費」(学業成績優秀で生活困窮の者が対象)が支給されるようになり、多くの私費留学生が勉学に専心できるようになった。その額は学部生で月額4万9000円、大学院生で7万円、年間およそ9600人に支給されている(2000年時点)。

 私費留学生は学費を自弁しなくてはならないため、必然的にアルバイトをすることになるが、従来は1日4時間以内という規制があったため、土曜日や日曜日に長時間就労することができなかった。しかしその後、入国管理局(現、出入国在留管理庁)の指導で、週に28時間までは就労することが許されるようになり弾力化が図られてきたが、もちろん風俗営業等の就労は認められていない。また日本の大学を卒業・修了した留学生がさらに企業等での研修のため、日本に2年間まで在留して働くことができるようになった。留学生の就労問題は、大学受験の準備も行う日本語学校で学ぶ就学生の就労が社会問題化したことがあるが、全体的にはしだいに改善されつつあるといえよう。

 いずれにしても、経済的な困難を抱える私費留学生に対するこれら支援や施策の弾力化によって、60%近くの私費留学生がなんらかの財政支援を受けたり、ほとんどの留学生が勉学の経費を日本で得ることが可能となったことは注目に値する。留学生の就労が認められていないアメリカと比較しても、日本の留学生政策はこの点でたいへん大きな特色をもつものといえる。日本に留学した場合、1年を経ればこうした各種奨学金の申請が可能であり、留学生が安心して勉学に励むことができるシステムが整いつつある。

[沖原 豊・二宮 皓]

課題

脱亜入欧以来の近代における留学にみられる、欧米を中心とした日本の留学文化は今日でも変化していない。さらに国際化・グローバル化が進むなかで、英語の果たす役割が多くなるとともに、ますます英語圏への留学を希望するものが増大しているのも事実である。エラスムス計画(The Europian Community Action Scheme for the Mobility of University Student=ERASMUS)による留学生交流を推進しているEU諸国にあってもこの傾向は同様である。日本の留学生派遣の課題の一つは、80%以上もの留学生が欧米を留学先に選ぶという事実を踏まえながら、いかにしてアジア・太平洋地域への留学生派遣を増やすかにある。アジアを理解できる日本人を多く育成することは、今後の日本の将来にとってきわめて重要な課題である。

 また、日本を訪れる留学生の90%以上がアジアからの留学生であることから、アジア以外の諸国からの留学生の受け入れをどのように促進するかも課題の一つとなっている。さらに「留学生受入れ10万人計画」を背景として、留学生数を倍増させるための各種の施策が実施されるとともに、留学生を受け入れることが大学の教育研究にとってどれほど重要であるかを日本の大学が認識し、積極的な留学生受け入れ態勢を整備しなくてはならないであろう。国際社会に通用し、世界で信頼される大学であるためには、世界中からの多くの留学生が学ぶ大学であるという評価が必要である。大学評価においても留学生の受け入れは重要な指標の一つとなっている。

 前述した留学生政策懇談会の提言「知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策」(1999)は、「留学生受入れ10万人計画」の実現のためには、以下のような施策が必要であるとしている。

(1)大学の国際競争力の強化を図るため、(a)魅力ある教育プログラムの開発と普及、(b)留学生のハンディキャップ等への配慮、(c)受け入れ態勢の整備と自己評価の改善、などを行う。

(2)世界に開かれた留学生制度の構築。

(3)留学生支援の充実のため、官民一体となった施策を展開すること。

 この留学生政策懇談会の提言は、留学を「知的国際貢献」と位置づけ、「留学生を受け入れる」という視座から一歩進めて「留学生を惹(ひ)きつける」という視点を提起している。大学は地域社会の協力を得ながら、自らの教育や研究の水準を高め、また留学生のニーズに真剣にこたえることのできる教育体制を構築し、世界から多くの優秀な留学生が学びにくるような大学づくりを考えなくてはならない。21世紀の大学が生き残るためには、日本人学生のみならず留学生のニーズにどのようにこたえるか、その戦略と精神を打ち立てなければならない。

[二宮 皓]

『大村喜吉著『日本の留学生』(1967・早川書房)』『永井道雄他著『アジア留学生と日本』(1973・日本放送出版協会)』『文部省学術国際局編・刊『21世紀への留学生政策』(1986)』『権藤與志夫編『世界の留学』(1991・東信堂)』『ICS国際文化教育センター編『アメリカ留学年鑑 96―97』(1995・三修社)』『ICS国際文化教育センター編『フランス留学』(1995・三修社)』『毎日コミュニケーションズ編・刊『毎日留学年鑑』』『留学生政策懇談会編・刊『知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展開を目指して――ポスト2000年の留学生政策』(1999)』『石附実著『近代日本の海外留学史』(中公文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「留学」の解説

留学
りゅうがく
study abroad

一定期間,外国に行って教育を受け,または研究に従事すること。資金によって国費,給費,私費の別がある。国費による場合は文部科学省の在外研究員であり,給費の場合には自国の公私の諸団体から支給されるものと,相手国の政府や団体によって保証されるものとがある。日本からの海外留学は7世紀初頭,推古天皇によって遣隋使と並行して始ったといわれる古い歴史をもち,その留学生の日本社会に果した貢献は大きい。現在,約 30ヵ国から日本の留学生が給費招致されており,その他,各種の留学生が年ごとに増加している。また諸外国からの日本への留学生も漸増している。

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百科事典マイペディア「留学」の解説

留学【りゅうがく】

外国において学術・技芸を学ぶこと。官費・私費の別がある。日本では古く遣隋使遣唐使に留学生を同行させた。幕末の開国以後,欧米への留学が始まり,維新後,政府は西洋文明吸収のため留学を奨励,海外留学生規則(1870年)により官費留学を制度化。これによる留学生(のち文部省在外研究員と称)は第2次大戦による中絶までに3000人を超えた。戦後1950年度から文部省在外研究員の制度が復活,また米国のフルブライト交流計画によるものをはじめ,外国政府等の給費による留学生の招致も盛ん。

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精選版 日本国語大辞典「留学」の解説

りゅう‐がく リウ‥【留学】

〘名〙 よその土地、特に外国へ行って、比較的長期間にわたって学問や芸術・技術などを学ぶこと。
※続日本紀‐宝亀六年(775)一〇月壬戌「従使入唐、留学受業」
浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉二「此男は曾て英国に留学した事が有るとかで」

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デジタル大辞泉「留学」の解説

りゅう‐がく〔リウ‐〕【留学】

[名](スル)他の土地、特に外国に在留して学ぶこと。「イギリスへ留学する」「内地留学
[類語]遊学

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世界大百科事典 第2版「留学」の解説

りゅうがく【留学】

よその土地の学校等へ赴き,知識や技能の学習・研究を行うこと。国内での遊学・研修などを含むこともあるが,一般的には外国の学校等での在留,修学をいう。留学の歴史は古く,日本では後述のように遣隋使,遣唐使に始まる。西洋でもギリシア以来,学問修行のための人間の移動は盛んに行われ,また,中世における12~14世紀の大学の成立と発展は,民族や文化の壁を超えて,若者たちの遍歴(放浪学生)と留学に支えられたものだった。

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大学事典「留学」の解説

留学
りゅうがく

『広辞苑』は留学を「よその土地,特に外国に在留して勉強すること」と定義するが,「特に外国」との言及は重要である。鹿児島から北海道の大学へ入れば,「よその土地」で学ぶ条件を満たすにもかかわらず,通常「留学」と言わないのはなぜか。その重要な前提は,多くの場合世界は言語や文化を共有する国家単位で区分され,かつ時代ごと,国家間の学問水準が隔たることである。1世紀余り前,国の独立と発展を企図した日本は,近代的な知識の獲得を不可欠と判断し,西欧諸国にそれを求めた。他から直に学んで学問水準のギャップを埋めようとの政策が,留学を際立たせたのである。留学者は,母国とは異なる言語,歴史文化上の環境下で学び,研究した。しかも当時の留学は高額を要した。明治30年代,イギリス留学で夏目漱石が受けた年間の官費は,当時の小学校教員の初任給15年分であった。留学は威信を伴い,第2次世界大戦前の帝大教授への昇進は2~3年の欧米留学をほぼ条件とした。留学が「よその土地」での学びと区別された所以である。以上の事情は,今日まで,類似の国には多少とも当てはまるであろう。

 今日,「先進国」は増加しつつある。たとえば,OECD加盟国とその主要パートナーは世界に分散し,加盟34ヵ国の一人当たりの国民総生産額は,数例を除き,日本並みかそれ以上である。アメリカ合衆国での学費が高騰した2015年現在でも,州立の研究大学(アメリカ)の年間の必要経費は,日本の小学校教諭の初任給1年分,私立の研究大学も2年分で賄える。留学可能な階層は格段に拡大した。加えて経済のグローバル化は国境を越えて働ける人材を不可欠とする一方,国民国家を相対的に弱体化させた。結果,21世紀の留学は様変わりした。2014年現在,世界から最大数が留学する合衆国では,そのうち約20万人(20%強)がビジネス・経営学を専攻するが,この分野は1919年には学士号取得者総数がわずか百数十人を数えたのみであった。20万人弱の工学が続く一方で,法学専攻の留学生は1万4000人にすぎない。就職に有利な専攻が圧倒的で,国の存亡を背負う悲壮な決意の留学は大方過去のものとなった。

 20世紀の前半には,第1次世界大戦の反省を契機に,ドイツのDAAD,イギリスのブリティッシュ・カウンシルおよび合衆国のフルブライト奨学金のような,国際理解を含めた学術交流の制度も設立された。にもかかわらず,WTOによる大学教育の貿易交渉の対象化は留学を商品化し,公的資金の減少に直面した先進諸国の国立・公立大学が,留学生からの授業料を収入源と見なし始め,世界の大学のランキングの公表と相まって,留学の商業化を加速している。結果,かつては意義のあった私費と国費(公費)留学の区別は,受入れ大学側には意味を失った。いずれの形でも大学の収入源となる留学生と,奨学金や給与として大学側の持出しを伴う留学生との区別の方が,真の関心事となったのである。

 以上の傾向にもかかわらず,国民国家と国民文化とが存続し続けるとすれば,留学は今後も長く,世界の大学教育に深刻な問題を提起するであろう。それらに首尾よく対処できるか否かに,大学の,そして人類の未来さえ幾分かは掛かっている。
著者: 立川明

[日本]

日本における留学のルーツは7世紀に遡る。政府が派遣した使節である遣隋使(600年頃~614年)および遣唐使(630~894年)に,学生や学問僧らを同行させたことが始まりとされる。「留学生」という言葉も遣唐使の時代に生まれている。次に,政府派遣による留学が行われたのは幕末期である。江戸幕府や薩長をはじめとする各藩は,海外の先進的な知識や技術を学ぶべく,有望な人材を海外へ送り出している。この時代の留学生には,伊藤博文や榎本武揚など明治政府で活躍した者も多い。

 明治期になると,国策として留学を奨励するようになる。1869年(明治2)には官費による新政府派遣第1号留学生が送り出されている。当初は富国強兵と殖産興業という国策に即した分野が中心であったが,徐々に芸術・文化等の分野の留学が行われるようになった。この時代,官費で派遣された留学生としては夏目漱石や森鷗外などがいる。また,内村鑑三や新渡戸稲造など私費で留学する者もあった。1871年には津田梅子ら5名が岩倉使節団とともに渡米し,最初の女子留学生となった。

 日本で学ぶ留学生も徐々に増え,清,インド,アメリカ,フィリピンなどからの留学生が日本の教育機関で学んでいた。こうした状況を踏まえ,1901年には留学生の受入れ体制整備を趣旨とする文部省令が公布されている。本格的な外国人留学生受入れ制度が整備されたのは,第2次世界大戦後のことである。1954年(昭和29)に国費外国人留学生制度が整備されている。研究留学生および学部留学生の受入れからスタートした制度は,対象となる学校種,留学の目的,期間などにおいて,そのプログラムを多様化させながら発展している。

 1983年には,当時の中曾根内閣が「留学生10万人計画」を提言した。21世紀までにフランス並みの留学生を受け入れることを掲げたこの計画は,数値目標が大きなインパクトとなり,その後の留学生政策に大きな影響を与えた。当初,困難であると思われていた目標達成は,アジアからの留学生の急増を受け,2003年(平成15)に実現している。さらに2008年,教育再生会議やアジア・ゲートウェイ戦略会議における議論を経て,文部科学省は「留学生30万人計画」を発表し,質・量両面において拡充を図る方針を示した。2016年現在,日本の大学で学ぶ外国人留学生数は23万9287人。出身国は中国,ヴェトナム,ネパール,韓国などアジア諸国が多い(日本学生支援機構「平成28年度外国人留学生在籍状況調査」)

 派遣留学については,これまで,「国費による海外派遣制度」(1968年~)や「長期留学生派遣制度」(2004年~)などが実施されてきているが,政策では受入れについての議論が中心であった。しかし,近年は日本人学生の内向き志向を危惧する向きもあり,「グローバル人材育成推進事業」や「官民協働海外留学支援制度」など,派遣推進の政策が打ち出されている。日本学生支援機構「協定等に基づく日本人学生留学状況調査」によると,2015年度の日本人学生の海外留学者数は8万4456人(前年度比3237人増)。留学先はアメリカ,カナダ,オーストラリアが多い。
著者: 渡邊あや

[ヨーロッパ]

ヨーロッパにおいてはヨーロッパの統合という視点から,EU域内での学生・教員の積極的な移動の促進と,それを支える共通の行動基準の開発がメインテーマとなっている。その試みは,EUの枠組みを超えて,ヨーロッパ全体へと拡大しつつある。留学制度の充実もその一環を担っている。この点について大きく三つのトピックから見ていく。

[ヨーロッパ共通の単位制度] 移動を促進するためには,学位や職業資格の相互承認が必要であることは言うまでもない。1988年にディプローム(ディプロマ)の相互承認により,高等教育の領域における教員,学生,研究者の移動を促進することを目的とする「少なくとも3年間継続する専門の教育および訓練の修了に際して授与される高等教育のディプロームの承認に関する理事会指令」が一般的制度として制定された。さらに1989年から,ECTS(European Credit Transfer System)と呼ばれるヨーロッパ共通の単位互換制度が開発され,同年から導入されている。ECTSにより,出身国以外の加盟国で取得した単位が,自国でのそれに算入されることが可能となっている。

[エラスムス・プログラム] エラスムス・プログラムは,域内での大学生の移動を促進することを目的として,1988年から実施されている行動計画である。この計画の名称は,ルネサンス期を代表する人文主義者で,ヨーロッパ各地を遍歴したエラスムスの名にちなんでいる。このなかで,学術研究などの幅広い分野で欧州内の交流,交換プロジェクトが行われている。各国の学生はそれぞれの在籍大学の在学期間中の一定の時期,欧州の協定先大学で学び,単位を取得することができる。同時に教職員の交流も行われている。

 2009/10年度に,21万3266人がエラスムス奨学金により他国の高等教育機関で学んでいる。学生の平滞在期間は約6ヵ月で,奨学金の支給平額は月額254ユーロとなっている。送り出し数が多い国は,上からスペイン,フランス,ドイツ,イタリア,ポーランドの順である。一方,受入れ数でもスペインがトップ,フランスの2位も変わらず,以下,イギリス,ドイツ,イタリアとなっている。学習コースのレベルでは,第1サイクル(学士)が7割弱を占めている。ただし,博士課程での移動は1%にすぎない。移動する学生の平年齢は22.6歳である。男女の比率でいうと女子が約6割である。学生を送り出している高等教育機関数は2853となっている。

[ボローニャ・プロセス] ボローニャ・プロセスは,参加各国の教育関係大臣による教育関係大臣会議での合意にもとづき,各国政府により推進されている。EU加盟国にとどまらず,広くヨーロッパ47ヵ国が参加して,ヨーロッパの大学の間を自由に移動でき,ヨーロッパのどこの大学で学んでも共通の学位,資格を得られる欧州高等教育圏(EHEA)を構築しようというものである。目標として「2020年までに学生の移動を20%とする」ことがベンチマークとして設定されている。

[今後の課題] 移動の障害となっている要因として,経済的な問題がまず挙げられる。そのほか,移動により学業が遅滞するのではないかという懸念,外国の大学で学んだ成果の自国での承認の問題,外国語のスキルなどが挙げられている。外国語のスキルについて言えば,小国の場合,大国の言語を習得しているケースが多い。2014年からの欧州委員会の新しい教育計画は「すべての人々のためのエラスムス」(Erasmus for All)という名称で,学生のいっそうの移動の促進が目指されている。今後,ラーニング・アウトカムズ(学習成果)を基礎に置いたヨーロッパ全体に共通する「資格枠組み」(EQF)とそれに対応する国レベルの資格枠組みの開発が課題である。
著者: 木戸裕

[諸外国における留学]

以下では,主として2017年版のUNESCO「世界の(大学)留学生の流れ」(Global Flow of Tertiary-Level Students)に記載されたデータをもとに,日本とヨーロッパを除く主要国の留学の現状を,受入れ・送り出し,政策と留学の将来の順に概観する。アジアの留学で留学生の受入れと送り出し人数の大きな9ヵ国を取り上げると,受入れ数の合計は70万,対して送り出し人数は先進国を主に142万と,完全な出超である。中でも80万を送り出す中国はその典型で,唯一シンガポールが送り出しの2倍を超える留学生を受け入れている。受入れ相手国のトップはいずれもアジアの近隣国で,中でも中国が7万の韓国人学生を,韓国が3万4500の中国人学生を受け入れているのが目立つ。9ヵ国の送り出し先を見ると,アメリカ合衆国が1位の国が5ヵ国(中国,インド,韓国,ヴェトナム,タイ),オーストラリアとイギリスが1位の国が2ヵ国ずつ(シンガポール,インドネシアおよびマレーシア,香港)で,アングロ・アメリカン諸国が他を圧倒している。

 中東諸国の留学の諸国は留学先により3分割できる。第1はイスラーム諸国へ留学生の大多数を送るバーレーン,パレスティナ,イラクである。第2は西欧が主だがイスラーム諸国へも多数を送るイラン,クウェート,レバノン,サウジアラビアである。第3は欧米諸国中心のイスラエル,トルコ,アラブ首長国連邦である。宗教と連動した政治情勢が留学先を強く規定している。アフリカの留学南部のボツワナ,ナミビア,スワジランド,レソト,ジンバブエでは大学先進国の南アフリカへ留学生が集中する。その南アフリカは合衆国とイギリスへ,また北アフリカのアルジェリア,マダガスカル,モロッコ,セネガル,チュニジア等は多数を旧宗主国フランスへと送る。中南米の留学ブラジル,コロンビア,メキシコ,ヴェネズエラは旧宗主国への名残りは残しつつも合衆国に,アルゼンチンとペルーは旧宗主国に,ボリヴィアはキューバに最大数を留学させている。旧ソヴィエト連邦諸国のおもな留学先はロシアだが,トルクメニスタンでは他の旧連邦諸国,ウクライナでは欧州諸国がロシアに迫っている。

 アングロ・アメリカン諸国は留学生の輸入超過の国である。オーストラリアの留学とニュージーランドの留学では,受入れ数と送り出し数との比はそれぞれ22対1,9対1である。両国は大学教育の商品価値を法的にも保証し,英語が公用語のイギリス連邦の利点も生かしながら,中国とインド,東南アジア等から多数の留学生を引きつけている。同じく14対1で輸入超過のアメリカ合衆国の留学は,中国,インド,韓国,サウジアラビア,カナダ,日本,ヴェトナム,メキシコ,ブラジル,トルコ,イギリス,ドイツ,フランス等世界中から計84万人の留学生を迎えている。合衆国が提供する国費留学生の枠は,たとえばドイツDAADの10分の1に過ぎないにもかかわらず,膨大な数の留学生を引きつける理由には,大学ランキングで多くの大学が上位を占めること,研究設備・図書館の充実度が高いこと,外国人大学院生にもTA(ティーチング・アシスタント)やRA(リサーチ・アシスタント),Fellowship(フェローシップ)といった経済援助を公正な競争で与えること,大学の公用語が英語であること等が考えられる。

 シンガポールとマレーシア,アラブ首長国連邦等は近い将来,かつての宗主国や西欧諸国の遺産を活用し,また英米のブランド校を誘致して,オーストラリアを凌駕する本格的な受入れ国となる可能性がある。一方,中東やアジアにおいて,大学中心の新たな文化変容に強力な抵抗が生じることも予想できる。現代が経済の仕組み以上に知の時代であれば,アジアや中東,アフリカの時代の到来にとって,留学事情は重要な予兆かつ帰結ともなるはずである。
著者: 立川明

[日本]◎井上雍雄『教育交流論序説』玉川大学出版部,1994.

[ヨーロッパ]◎木戸裕「ヨーロッパ統合をめざした高等教育の国際連携―ボローニャ・プロセスを中心として」,日本比較教育学会『比較教育学研究』48号,2014.

[諸外国]◎権藤与志夫編『世界の留学』東信堂,1991.

参考文献: 寺倉憲一「留学生受け入れの意義」『レファレンス』2009.3.

参考文献: 杉村美紀「アジアにおける留学生政策と留学生移動」『アジア研究』LIV,4,2008.10.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

世界大百科事典内の留学の言及

【南方特別留学生】より

…太平洋戦争のさなかの1943年2月,日本の軍部,大東亜省,文部省間で協議された〈南方特別留学生育成事業〉という政令により制定された,東南アジア諸国から日本への留学生制度。その趣旨は南方諸地域より選抜された有為な青少年を〈我国ニ留学セシメ,(中略)我学芸及ビ実務ヲ習得セシムルト共ニ我国民性ノ真髄ニ触レシメ,以テ帰国後ハ原住民ヲ率ヒ,大東亜共栄圏建設ニ協力邁進スベキ人材ヲ育成スル〉ことであった。…

※「留学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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