師郷
くししごう
「和名抄」所載の郷。東急本は「櫛」と表記し、「久之々」と訓ずる。郷域は、明治二二年―昭和五年(一八八九―一九三〇)まで存在していた櫛比村を含む八ヶ川流域、現門前町中心部あたりを中心に、さらに南の阿岸川・仁岸川の河口へも延びていたと考えられている。天平二〇年(七四八)越中守大伴家持が能登地方を巡行した際、「鳳至郡の饒石川を渡りし時に作る歌一首」として「妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占はへてな」と詠じている(「万葉集」巻一七)饒石川は仁岸川のことで、推定郷域付近の同川を渡ったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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