広沢虎吉(読み)ヒロサワ トラキチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「広沢虎吉」の解説

広沢 虎吉(2代目)
ヒロサワ トラキチ


職業
浪曲師

本名
井上 菊松

別名
号=井上 晴夢

生年月日
元治1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
祭文語り吉川竹丸の子。15歳で初代広沢虎吉の門人となる。2代目虎吉を襲いでからはめきめき頭角を現し、明治28年浪花節親友派組合の初代頭取に就任。一方浪曲定席広沢館を建て、第二・第三広沢館を直営して多額の財をなす。多くの弟子や仲間うちから旦那と呼ばれ、関西浪曲界の大御所的存在となった。晩年は井上晴夢と号した。

没年月日
昭和7年 9月12日 (1932年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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