すべて 

床丹村(読み)とこたんむら

日本歴史地名大系 「床丹村」の解説

床丹村
とこたんむら

[現在地名]島牧郡島牧村字永豊ながとよ・字大平おおびら

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同一二年(一八七九)まで存続した村。本別ほんべつ村の北にあり、床丹川が流れる。明治三年六月仏光ぶつこう(現京都市下京区)によりトコタンを床丹村とするよう指示された(「島牧郡之内支配開拓帳」島牧村史)。同四年の「春日紀行」に床丹とある。同六年の「後志国地誌提要」に床丹村とみえ、戸数一五・人口六六、寄留戸数二・人口二で、稲生社(天保九年建立)が祀られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 永豊村 本別
すべて 

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む