永豊村(読み)ながとよむら

日本歴史地名大系 「永豊村」の解説

永豊村
ながとよむら

明治一二年(一八七九)より同三九年まで存続した村。明治一二年四月とまり床丹とこたん・永豊・本別ほんべつの四ヵ村が合併して新たに永豊村が成立。同一二年の「共武政表」に「永豊村内字床丹泊本別連続」とみえ、戸数三一・人口一三〇、日本形船舶七八、物産木材とある。同年戸長役場、同一三年郵便局が置かれた(状況報文)。同一六年の漁家戸数三一・人口一二〇、漁船一〇八、建網一〇・手繰網三五三(島牧村史)。同二〇年本目外二ヶ村戸長役場を合併して永豊外六ヶ村戸長役場となる。同二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数六五、男三四三・女二九〇、官廨五、倉庫三四、厩三、学校一、病院一、艀漁小廻船一六〇。


永豊村
ながとよむら

[現在地名]島牧郡島牧村字永豊・字とまり・字大平おおびら

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同一二年(一八七九)まで存続した村。泊村の北にある。明治五年二月函館出張開拓使庁島牧郡出張所開設。同六年の「後志国地誌提要」に永豊村とみえ、戸数一〇(うち元土人八)、人口三二(うち元土人二五)、寄留戸数一・人口二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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