徳永郷(読み)とくながごう

日本歴史地名大系 「徳永郷」の解説

徳永郷
とくながごう

文安元年(一四四四)一月二八日の本願寺存如在判方便法身尊像裏書写(富山県婦負郡八尾町聞名寺蔵)に「飛騨聞名寺門徒同国大野郡徳長郷下小鳥願主釈明通」とみえる。これ以後本願寺実如より方便法身尊像が、長享三年(一四八九)二月一五日には「徳長郷夏舞」の善性(白川善俊門徒)(蓮徳寺蔵)、明応四年(一四九五)には「徳長郷小鳥」の教誓に(弘誓寺蔵)、同七年には「徳永郷有惣」の正了(白川正蓮寺門徒)(恵林寺蔵)、永正一一年(一五一四)一二月五日「徳永郷中野」の浄善(照蓮寺門徒)(高山市東等寺蔵)、それぞれ下付されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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