大野郡(読み)おおのぐん

日本歴史地名大系 「大野郡」の解説

大野郡
おおのぐん

面積:七四二・五五平方キロ
野津のつ町・三重みえ町・犬飼いぬかい町・千歳ちとせ村・大野おおの町・朝地あさじ町・清川きよかわ村・緒方おがた

県南東部にあり、北は大分市・大分郡野津原のつはる町・直入なおいり郡直入町、北東は臼杵うすき市、東は南海部郡弥生やよい町、南は同郡本匠ほんじよう村・宇目うめ町と宮崎県西臼杵郡高千穂たかちほ町、西は竹田市。ただし古代以来の旧大野郡域は宇目町の全域および大分市南西端、野津原町南部、竹田市東部、直入町南東部の各一部を含んでいた。現郡域の北境は標高八〇〇メートル級のよろいヶ岳・御座ござヶ岳などの山群、北東境は三〇〇メートル級のからす岳・たけ山、南境は一六〇〇メートル級の祖母そぼ山・かたむき山などを中心とする祖母傾山地によって画される。中央を大野川が西から東、さらに北東へと流れ、郡内諸川の大部分が同川に合流する。別に北東境を臼杵川、北西を七瀬ななせ川が流れる。大分駅から南下してきたJR豊肥本線が三重町から郡中央部を西へと走る。国道は北東部を一〇号、犬飼町で一〇号から南西へ分岐する五七号、朝地町域で五七号と交わる四四二号、犬飼町域で五七号からほぼ南へ分岐する三二六号、野津町域で一〇号と交差し、三重町域で三二六号と交差して東西に走る五〇二号が通る。

〔原始・古代〕

大野川流域は旧石器時代の遺跡の宝庫として知られている。だいはる遺跡(大野町)ではナウマンゾウの牙の化石がこれを捕獲して処理したとみられる状況で出土、下津尾しもつお遺跡(犬飼町)ではオオツノジカの化石が出土している。大野川流域にはこうした大型動物が繁殖し格好の猟場となっていたのであろう。またこの地域は無斑晶流紋岩やホルンフェルスなど石器にもめぐまれ、こうした自然条件のなかで多くの遺跡が分布している。ナイフ形石器など多彩な石器群とともに、いわゆるコケシ形石製品を出土した岩戸いわど遺跡(清川村)のほか津留つる遺跡・いち久保くぼ遺跡(犬飼町)百枝ももえだ遺跡・上下田かみしただ遺跡(三重町)夏足原なたせばる遺跡・駒方こまがた遺跡・宮地前みやじまえ遺跡(大野町)などが注目される。なお下津尾遺跡のオオツノジカは四万年前に噴火したとみられる阿蘇山の溶結凝灰岩の下部から出土しており、この期にさかのぼる遺跡の所在する可能性も考えられる。縄文時代の遺跡も注目すべきものが多く、早期の遺跡として知られる菅無田すがむた遺跡(野津町)田村たむら遺跡(朝地町)鳥穴とりあな遺跡(犬飼町)をはじめとして各期の遺跡が広範に分布する。前期から中期にかけては大恩寺稲荷洞穴だいおんじいなりどうけつ遺跡(朝地町)などがあるが、総じて遺跡は少ない。この地域の縄文時代遺跡が顕著な展開をみせるのは後期で、生野しようの遺跡(野津町)駒方遺跡・夏足原遺跡など、いわゆる磨消縄文土器と磨研土器をもち土掘具とみられる扁平打製石斧をもつ集落跡が各地にある。


大野郡
おおのぐん

面積:一八三四・一五平方キロ
高根たかね村・朝日あさひ村・久々野くぐの町・みや村・清見きよみ村・荘川しようかわ村・白川しらかわ村・丹生川にゆうかわ

県の北部、飛騨国のほぼ中央に位置する。東は乗鞍のりくら(三〇二六・三メートル)から御嶽おんたけ山の継子ままこ(二八五八・九メートル)にかけての山稜で長野県南安曇みなみあずみ郡安曇村・奈川ながわ村、同県木曾郡開田かいだ村と境し、南は益田ました小坂おさか町・萩原はぎわら町・馬瀬まぜ村、郡上ぐじよう明方みようがた村・白鳥しろとり町・高鷲たかす村と接する。西は御前ごぜん(二七〇二・二メートル)を最高峰とする白山連峰で福井県大野市、石川県石川郡白峰しらみね村・尾口おくち村・吉野谷よしのだに村と境する。北は中央部に高山市を包み込むような形で、富山県東礪波ひがしとなみ上平かみたいら村・平村・利賀とが村、吉城よしき河合かわい村・古川ふるかわ町・国府こくふ町・上宝かみたから村に接する。近世まで高山市が当郡に含まれており、丹生川村の一部が吉城郡、高根村・朝日村全域と久々野町の一部が益田郡に属していた。萩原町との境に位置するくらい(一五二九・二メートル)を中心にほぼ東西に走る位山分水嶺山脈が太平洋側と日本海側を分ち、当郡は中央部と西部を北流する宮川・しよう川水系と東から中央に向かったのち南流する飛騨川水系に分れる。面積の九〇パーセントを山林が占める。郡名は「続日本紀」天平勝宝元年(七四九)閏五月二〇日条に「飛騨国大野郡大領外正七位下飛騨国造高市麻呂」とみえるのが初見。貞観一二年(八七〇)一二月八日当郡は二郡に分けられ(三代実録)、南部域は益田郡となった。

〔原始―中世〕

先土器時代の遺跡は高根村池の原いけのはら遺跡、大型尖頭器の出土で知られる朝日村の西洞にしぼら遺跡などがある。縄文時代の遺跡は各所でみられ、県の遺跡地図によると飛騨の六〇〇近い遺跡のうち約一七〇が大野郡にあるが、未調査のまま消滅したものも少なくない。縄文草創期の有舌尖頭器は久々野町堂之上どうのそら遺跡、高根村のはら遺跡などで出土しているが、いずれも開田村柳又やなぎまた遺跡出土の柳又型で、石は大部分が益田郡下呂げろヶ峰で産するガラス質安山岩(下呂石)を使用している。早期の遺跡としては丹生川村根方岩陰ごんぼういわかげ、白川村巾通はばどおりの各遺跡、前期から中期にかけては四三基の住居跡が検出された飛騨地方最大級の堂之上遺跡が知られる。ほかに白川村島中通しまなかどおり遺跡では前期の、清見村門端かどはし遺跡では中期の住居跡が検出された。後期から晩期の遺跡としては白川村巾通り・木谷きだになどで発掘調査が実施されている。各時期を通じて飛騨は東日本と西日本、北陸系と東海系の文化の流入消長がみられるのが特色である。弥生時代の遺跡は少なく、宮村のかめひら遺跡で勾玉などが出土した。


大野郡
おおのぐん

「和名抄」東急本国郡部の訓注に「於保乃」とある。近世の郡域は揖斐いび川と根尾ねお(藪川)に挟まれ、西は揖斐川を境に池田いけだ郡と安八あんぱち郡、東は根尾川を境に本巣もとす郡、北は越前国と接し、郡南部で揖斐川と根尾川が合流する。地形は北部の山地が大半で、南部に若干の平坦地がある。現在の揖斐郡谷汲たにぐみ村・大野町全域と、同郡池田町・揖斐川いびがわ町・久瀬くぜ村・藤橋ふじはし村、安八郡神戸ごうど町、本巣郡穂積ほづみ町・巣南すなみ町・真正しんせい町・糸貫いとぬき町・根尾村の各一部にあたる。明治三〇年(一八九七)揖斐郡・本巣郡の一部となり、郡名は消滅した。

〔古代〕

藤原宮跡出土木簡に「癸未年七月 三野大野評阿漏里 (阿カ)漏人□□(米カ)」とある。癸未年は天武朝の六八三年にあたり、里が記されたものでは最古の一つとされる。文献では「続日本紀」大宝二年(七〇二)七月一〇日条に「美濃国大野郡人神人大献八蹄馬給稲一千束」とみえる。二つの史料から安八郡や本巣郡などと同じく、国―評(郡)―里の地方行政組織が制度化された当初からの郡と推測される。なお越美山地を挟む形で飛騨国・越前国にも大野郡があり、当地方一帯をさす総称であったと考えられる(日本地理志料・濃飛両国通史)。古墳は大野町・揖斐川町北辺の山麓一帯を中心に、郡南部の平坦部に二百数十基が集中している。ほとんどが古墳時代後期の群集墳であるが、大野町の古墳群には舶載鏡を出土した城塚しろつか古墳などの大型前方後円墳が含まれる。また同町南部の上磯かみいそ古墳群にも全長一〇〇メートル近い亀山かめやま古墳などの大型前方後円墳がある。これらの大型前方後円墳は古墳時代前期から中期にかけてのもので、一帯を拠点とした地方豪族の存在を示すが、豪族にかかわる伝承として、「日本霊異記」に欽明天皇の時代大野郡の人が狐を妻とし、その子は岐都禰と名付けられ、狐あたいの祖となったとの話がみえる。同書には、美濃国・尾張国での狐にまつわる伝承が幾つか載せられているが、当郡は狐直伝承の中心地である。条里遺構は大野町全域、揖斐川町の一部に残り、その畦畔の方向などは、本巣郡・方県かたがた郡などと同一である。


大野郡
おおのぐん

面積:三三二・六〇平方キロ
和泉いずみ

県の東部に位置し、南と東は岐阜県、北と西は大野市と接する。北東部に毘沙門びしやもん岳、南部に平家へいけ岳・猿塚さるづか滝波たきなみ山、北西部に荒島あらしま岳、中央やや西寄りに鷲鞍わしくら岳の標高一〇〇〇―一五〇〇メートルの山が連なり、山間の峡谷を東から北西に九頭竜くずりゆう川が流れる。なお旧大野郡域は現勝山市・大野市、足羽あすわ美山みやま町の一部および岐阜県郡上ぐじよう白鳥しろとり町の一部を含んでいた。

〔原始・古代〕

現郡域内北部の九頭竜川支流石徹白いとしろ川流域の後野のちの角野前坂かくのまえさか小谷堂こたんどう、また南西部同支流伊勢いせ川流域の中伊勢なかいせ、九頭竜川本流の持穴もちあな下半原しもはんばらなどから縄文時代の遺跡が発見され、その遺物から九頭竜川下流域のほか、南流して伊勢湾に注ぐ長良ながら川を経路とする東海地方との密接なつながりが認められる。しかし弥生時代・古墳時代の遺跡は現在のところ発見されていない。

郡名は、天平元年(七二九)一〇月二一日付の平城宮出土木簡に「越前国大野郡調銭」とみえる。また同五年の越前国稲帳(正倉院文書)にも郡名はみえる。同帳は断簡で詳細は不明であるが、大野郡で少なくとも二千一五〇束の郡稲が集められていたと推定される。「三代実録」元慶五年(八八一)七月一七日条に「越前国丹生大野坂井等郡田地六百一町九段百五十八歩、依天平勝宝元年四月一日 詔、令興福寺領得」とあり、大野郡郡田が奈良興福寺に与えられた記事がみえる。「和名抄」高山寺本には大野郡の郷として大山おおやま・尾屋・資母しも出水いずみ大沼おおぬ(刊本は野田・上家・川合・利刈・毛屋・加美・資母・出水・大山を記すが、このうち野田・上家・川合・利刈の四郷は高山寺本では足羽郡とする)を載せるが、尾屋郷は毛屋けや郷のこととされ勝山市、その他は大野市域に比定されており、現大野郡域に比定される郷はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android