志田延義(読み)シダ ノブヨシ

20世紀日本人名事典 「志田延義」の解説

志田 延義
シダ ノブヨシ

昭和期の日本文学者 山梨大学名誉教授;鶴見大学名誉教授。



生年
明治39(1906)年6月10日

没年
平成15(2003)年8月3日

出生地
富山県富山市

別名
俳号=素諷(ソフウ)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国文学科〔昭和5年〕卒

学位〔年〕
文学博士(東京大学)〔昭和32年〕

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和27年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和52年〕,北日本新聞文化賞〔昭和62年〕

経歴
昭和30年山梨大学教授、41年教育学部長を歴任して、47年退官。のち鶴見大学文学部長などを務めた。日本歌謡学会創設に参画した。著書に「奥の細道評釈」、エッセイ「国語内外もの知り帖」、「志田延義著作集」(全9巻 至文堂)、「志田延義エッセイシリーズ」(全6巻 至文堂)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の志田延義の言及

【国体の本義】より

…1935年天皇機関説問題を契機に政府の〈国体明徴〉声明に沿って,文部省が独自に国体論の教材として編纂に着手したものである。文部省は,国体観念に基づく教育・学問の改編方策を検討するために35年11月,文部大臣の諮問機関として〈教学刷新評議会〉を設置したが,その答申(1936年10月)を待たずに,思想局長伊東延吉の主導のもと,思想課長小川義章,国民精神文化研究所員志田延義等を中心として省内外の委員を加えた編纂委員会が組織され,35年中に編纂を開始した。原稿起草は東京帝国大学助教授久松潜一の担当とされたが,実際には久松の指導を受けた志田が原案を執筆し,小川・伊東がそれに修訂を加えてまとめられたという。…

※「志田延義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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