志田延義(読み)しだのぶよし

世界大百科事典(旧版)内の志田延義の言及

【国体の本義】より

…1935年天皇機関説問題を契機に政府の〈国体明徴〉声明に沿って,文部省が独自に国体論の教材として編纂に着手したものである。文部省は,国体観念に基づく教育・学問の改編方策を検討するために35年11月,文部大臣の諮問機関として〈教学刷新評議会〉を設置したが,その答申(1936年10月)を待たずに,思想局長伊東延吉の主導のもと,思想課長小川義章,国民精神文化研究所員志田延義等を中心として省内外の委員を加えた編纂委員会が組織され,35年中に編纂を開始した。原稿起草は東京帝国大学助教授久松潜一の担当とされたが,実際には久松の指導を受けた志田が原案を執筆し,小川・伊東がそれに修訂を加えてまとめられたという。…

※「志田延義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」