志記郷(読み)しきごう

日本歴史地名大系 「志記郷」の解説

志記郷
しきごう

和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「之岐」と訓を付す。現天草郡苓北れいほく志岐しきが遺称地で、中世志岐浦などの地頭志岐氏の拠った志岐城跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 熊本県 しも しき

世界大百科事典(旧版)内の志記郷の言及

【苓北[町]】より

富岡は天草灘に突出した砂州と陸繫島からなり,志岐はこの富岡半島の基部に位置する。平安時代の《和名抄》に志記郷と記された地で,鎌倉時代は志岐氏が志岐城に拠り一帯に勢威を振るった。関ヶ原の戦後,唐津藩領となり,陸繫島に富岡城が築かれた。…

※「志記郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む