悴谷村(読み)かせだにむら

日本歴史地名大系 「悴谷村」の解説

悴谷村
かせだにむら

[現在地名]倉吉市忰谷かせだに

中野なかの村の西、北谷きただに川支流忰谷川の中流域に位置する。拝領高は二四六石余、本免は五ツ一分。広沢氏・倉吉荒尾氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高二六〇石余、竈数一八、村内に山王権現を祀る。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二七八石余、竈数二〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 北谷 モリ 中野

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む