長野県北部の市。2005年4月旧中野市と豊田(とよた)村が合体して成立した。人口4万5638(2010)。
中野市西部の旧村。旧下水内(しもみのち)郡所属。人口5221(2000)。新潟県との県境をなす斑尾(まだらお)山の東麓から千曲川西岸にかけて位置する山村で,中央を千曲川支流の斑尾川が流れる。千曲川の西岸に沿ってJR飯山線,国道117号線が縦断する。村域の半分を山林・原野が占め,耕地は2割程度にすぎない。農業が唯一の産業で,千曲川沿いの狭小な沖積地での稲作とリンゴ栽培が中心であり,冬季の副業から始められたエノキタケ栽培も盛ん。人口は1958年ころから急減し,80年に一時的に増加したものの,その後依然として過疎化が進んでいる。斑尾高原では夏季は学生村,冬季はスキー場が開設される。97年には上信越自動車道が村内を通るようになり,ほぼ中央部に豊田飯山インターチェンジが開設された。
執筆者:柳町 晴美
中野市東部の旧市で,長野盆地北部にある。1954年市制。人口4万2624(2000)。中世は高梨氏の本拠地で,江戸時代には幕府の代官所が置かれた。1870年(明治3)代官所跡に中野県庁が設置されたが,中野騒動が起こり,翌年県庁は長野へ移された。明治以降,下高井地方の政治・経済の中心地として発展した。園芸農業が高度に発達していることが特色で,エノキダケ,ブドウ(巨峰),アスパラガスの生産のほか,リンゴ,モモなどの栽培も盛んであり,これらに関連した農業機械工業もみられる。また杞柳(きりゆう)細工(柳行李など)や土びな人形などの伝統的工芸品産業や,カメラ,医療機械などの精密機械,電子機械部品,プラスチック製品,食品加工などの近代工業も発達している。作曲家中山晋平の生地で,《中野小唄》の作もある。長野電鉄の河東線と山ノ内線の分岐点であり(2002年河東線の信州中野~木島間が廃止となり,信州中野~須坂間と山ノ内線は長野線の一部となる),志賀高原への入口となっている。上信越自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:市川 健夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都区部の西部にある区。1932年(昭和7)豊多摩(とよたま)郡野方(のがた)、中野の2町が合併して成立。高燥で平坦(へいたん)な山手台地(やまのてだいち)上にあり、北部を妙正寺川(みょうしょうじがわ)とその支流の江古田(えごた)川、南部を善福寺川(ぜんぷくじがわ)(旧、神田上水)が台地を刻み、曲がりくねった谷を形成して流れる。かつて広い台地をみて上野・中野・下野と分けたが、その中野のみが地名になったといわれる。戦国時代は後北条(ごほうじょう)氏の直轄地であったが、江戸時代には幕府・旗本・寺社各領が混在していた。青梅(おうめ)の石灰運搬のため青梅街道筋(すじ)の中野は宿場町として発展した。また、街道筋の鍋屋(なべや)横丁は堀ノ内妙法寺(ほりのうちみょうほうじ)(杉並区)参拝の分岐点としてにぎわった。現在の中野駅北西部はかつて囲(かこい)町とよばれ、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の生類憐(しょうるいあわれ)みの令により建てられた犬小屋が堀で囲ってあった所。同駅北部の新井薬師は江戸時代、子育て薬師としてたいへんにぎわった。
明治末から大正中期にかけ中野刑務所(現在は廃止)、国立療養所中野病院(1993年国立病院医療センターと統合、国立国際医療研究センターとなり、新宿区戸山に移転)が設けられた。1889年(明治22)甲武鉄道(現、JR中央線)が開通、関東大震災を機に住宅地化が進み、1927年(昭和2)西武鉄道村山線(現、新宿線)が開通し郊外住宅地として発展した。1921年(大正10)青梅街道に路面電車の西武軌道(西武鉄道の前身の一つ)が開通、1942年(昭和17)市電となったが、第二次世界大戦後に営団地下鉄(現、東京地下鉄)丸ノ内線が設けられたため、廃止となった。1966年には営団地下鉄東西線が開通、都心との連絡が緊密となった。さらに1997年(平成9)都営地下鉄12号線(2000年に大江戸線と名称変更)も開通した。井上円了(えんりょう)が精神修養の場として創設した哲学堂公園が北東端にあり、中野駅周辺は商店街、飲食店街が栄えている。面積15.59平方キロメートル、人口34万4880(2020)。
[沢田 清]
『『中野区史 昭和編』全3巻(1971~1973・中野区)』▽『『中野区史 昭和資料編』全3巻(1971~1973・中野区)』
長野県北東部にある市。長野盆地北部の商業中心地。1954年(昭和29)中野町と日野、延徳(えんとく)、平野、長丘(ながおか)、平岡、高丘、科野(しなの)、倭(やまと)の8村が合併して市制施行。2005年(平成17)下水内(しもみのち)郡豊田村(とよたむら)を合併。市域はほとんど千曲(ちくま)川の支流夜間瀬川(よませがわ)の扇状地で、近世末の用水路開削により一部開田された。飯山線、長野電鉄、国道20号、292号、403号が通じる。近年開通した上信越道の信州中野インターチェンジと豊田飯山インターチェンジにより、利便性は向上した。中心地の中野は草津(群馬県)へ通じる草津道に沿い、近世は幕府領で陣屋が置かれた。1870年(明治3)から1年足らずの間、中野県の県庁所在地で、県庁が長野へ移ったあとは下高井郡政の中心であった。製糸工業が盛んであったが、現在はカメラや電機部品工場が立地し、農村部ではリンゴ、モモ、巨峰ブドウの果樹経営が行われ、エノキダケ栽培も盛ん。高社山麓(たかやしろさんろく)、夜間瀬川沿いの「十三崖のチョウゲンボウ繁殖地(じゅうさんがいのちょうげんぼうはんしょくち)(長元坊―ハヤブサ科の一種)」は国指定天然記念物。面積112.18平方キロメートル、人口4万2338(2020)。
[小林寛義]
『『中野市誌――歴史編』(1981・中野市)』
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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