所村(読み)ところむら

日本歴史地名大系 「所村」の解説

所村
ところむら

[現在地名]大栄町所

桜田さくらだ村の北に位置する。寛永一〇年(一六三三)の草刈場争論の証文(小貫家文書)に村名がみえる。部冊帳(伊能家文書)によれば、慶長四年(一五九九)検地高三一一石余。寛文六年(一六六六)年貢皆済目録(小貫家文書)では旗本斎藤領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分でも同高で、旗本天方領と与力給知。天保三年(一八三二)の新知七ヶ村書上帳(秋山家文書)によれば、村高のうち一一四石余が与力給知、一九七石余が旗本津田領で、ほかに享保一六年(一七三一)高入れの新田五五石余があり幕府領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む