政泊村(読み)まさどまりむら

日本歴史地名大系 「政泊村」の解説

政泊村
まさどまりむら

[現在地名]寿都郡寿都町字政泊町

明治初年(同二年八月―同六年の間)より昭和八年(一九三三)まで存続した村。矢追やおい村の北西方にあり、北東弁慶べんけい岬が突出する。明治四年(一八七一)の「春日紀行」に政泊とある。同六年の「後志国地誌提要」に政泊村とみえ、戸数一三・人口八〇で、稲生社(天保一二年建立)が祀られる。明治二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数八五、男二〇三・女一七六、官廨三、厩四、学校一、艀漁小廻船一七二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む