斎藤 松声(読み)サイトウ ショウセイ

20世紀日本人名事典 「斎藤 松声」の解説

斎藤 松声
サイトウ ショウセイ

昭和期の箏曲家(山田流) 松声会家元。



生年
明治40(1907)年8月1日

没年
平成3(1991)年3月21日

出生地
茨城県

本名
斎藤 正一(サイトウ ショウイチ)

学歴〔年〕
東京盲学校師範部〔昭和2年〕卒,東京盲学校研究科〔昭和3年〕修了

主な受賞名〔年〕
勲五等瑞宝章

経歴
緑内障の治療をしながら6歳から箏曲修業。大正13年から東京盲学校で石井松清、初代萩岡松韻に箏曲、千布豊勢に三味線を学んだ。同年松声会を創立。昭和2年盲学校卒業、翌年研究科修了。5〜56年母校音楽科で後進指導、演奏、作曲を続けた。歌曲作品に「野辺の春」「滝」「水のゆくえ」「大海原」「日本の庭」「平和のひびき」「四季の声」、器楽曲に「蟻舞曲」「さざ波」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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