… ロサンゼルスの《羅府新報》が報道中心の一般紙に変わっていくのも,〈亜細亜商会〉の経営者井上昌らが同紙の経営にあたる1910年前後からである。サンフランシスコでは〈土着永住〉をスローガンとした安孫子久太郎(1865‐1936)が1899年4月3日に〈沿岸邦人の精神的統一を計る〉などをうたって創刊した日刊紙《日米The Japanese American News》(のちJapanese American。在来の《桑港日本新聞》と《北米日報》を合併)が,代表的な新聞となる。…
※「日米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...