日本歴史地名大系 「普門寺経塚」の解説
普門寺経塚
ふもんじきようづか
[現在地名]豊橋市雲谷町 ナベ山下
静岡県と境を画する船形山から南西、南東に馬蹄状に延びた尾根が形成する谷奥に普門寺が所在し、その後背の南斜面標高二五〇メートルに二ヵ所からなる経塚群がある。この地点は、平安末期に焼失したといわれる本堂跡の北側にある。
第一経塚からは、明治年間(一八六八―一九一二)に銅鋳製経筒一口(国指定重要文化財)と陶製経筒外容器一口が発見されている。経筒には久寿三年(一一五六)建辰月二九日銘で「願主僧勝意(中略)鋳物師散位伴成恒」の陽鋳銘文がみられる。勝意は、普門寺第一三代住職であり、また伴成恒は、京都府
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報