物の表面を飾るためにつけられた図様を文様という。文様は紋様あるいは模様(もよう)とも書かれる。普通には,装飾史において,様式化したモティーフの単位を,その構成原理にもとづく学問的な対象としてみる場合に〈文様〉の術語を使う。これに対し,やや紋章的な感じをふくむ図文を〈紋様〉と呼び,染織などを主とする工芸品に〈型〉としてくりかえされるような意匠の場合は,一般に〈模様〉と呼ばれる。歴史的には〈光琳模様〉のように,模様という言葉は,日本では江戸時代以後に流行するようになった。文様は,点と線,面などによって形づくられた抽象的な幾何学的図形のようなものから,自然な形象を写生する絵画的な図文にいたる各種のものがあるが,これにも平面的なものと立体的なものがあり,さらに色彩を加えて配色効果をねらったものが少なくない。
また板の木目,大理石の石目,雪の結晶のような自然にできたものでも,それぞれ特有のデザイン的美しさをもつので,一種の文様としてみなされうる。だが一般には,文様は建築や工芸品などの装飾として,全体的な秩序のもとに表現された意匠のうちから,様式化された図文の単位を抽出した人為的なモティーフをさすものと考えられる。
文様を飾る対象は,人体をはじめ,衣服,器物,家具,その他の工芸品や建築物などにひろくわたるが,その目的としては,第1には,純粋に〈飾る〉ということだけのための快楽的,観賞的な装飾文様がある。物を〈飾る〉とか〈装う〉とかいう言葉は,西洋ではラテン語起源の〈デコレーションdecoration〉あるいは〈オーナメントornament〉などがあるが,それらは人間の生活にとってよけいなものとか,ぜいたくなものと考えられたこともあった。しかし,それは本来,人間のもって生まれた装飾本能に由来するもので,先史時代以来,人類はみずからの生活環境を美化し,人生の喜びを見いだそうとして,あらゆるものに装飾をほどこしてきた。東洋でも〈文〉という漢字は〈あや〉もしくは〈かざり〉の意で,文繡とか文彩といえば,装飾を意味していたという。文様としては,晋の《鄴中記(ぎようちゆうき)》に〈蒲桃文錦(ぶどうもんきん)〉や〈斑文錦(はんもんきん)〉が記され,《唐会要(とうかいよう)》には〈異文袍(いもんほう)〉の巻があり,袍(上衣)の異国文様として〈獅子文〉〈虎文〉などが羅列されている。日本でも,正倉院の《東大寺献物帳》に,〈唐刀子(からのとうす)は蒲陶文裁(ぶどうもんさい)〉とあって,このナイフには唐朝伝来の葡萄唐草文を透彫(すかしぼり)した金具が飾られていたことがわかる。ただ,これらの文様が当時観賞的な装飾意匠としてのみ考えられていたかどうかは問題である。
文様には,もう一つの重要な目的として,具体的な形象に社会あるいは宗教における特有な観念的意味をもたせた記号もしくは象徴的機能がある。象徴的文様ははなはだ多く,装飾的文様とこれとを切り離して考えることは不可能なほどである。古代以後,社会の進展とともに,部族,国家に所属する人々の職能や組織,さらにはそれらをリードした支配階級の権威を表示しようとする特有の記号的紋様,すなわち紋章が発達していった。西洋中世の法皇や王家の紋章,東洋ことに日本における家門の誇るべき目じるしとしての家紋はその好例である。
一方,各地で宗教が発達すると,その信仰の対象や内容を表示するため,特有の図文が図像的意味をもつものとみなされ,教団は教義にもとづく儀軌(ぎき)をきびしく規定するようになった。たとえば,西洋中世のキリスト教の場合,十字架や魚,ブドウの樹などはイエス・キリスト,バラは聖堂のばら窓にいたるまで聖母マリア,ユニコーンは処女,糸杉は死,シュロ(実はナツメヤシ)は復活を意味する象徴とみなされていた。また仏教では,仏像の出現以前,インドの古代初期に,仏陀は象徴的図文によってあらわされていた。輪宝は法(ダルマ)もしくは説法,菩提樹(ぼだいじゆ)は成道(じようどう),仏塔は涅槃(ねはん)を意味していた。漢訳仏典《四分律(しぶんりつ)》によると,仏塔には籐(とう)(唐草)や葡萄蔓(ぶどうまん)(葡萄唐草),蓮華(れんげ)などの植物文様がほどこされていたこともわかる。仏教寺院では,堂塔や尊像などを装飾することを〈荘厳(しようごん)〉というが,これはサンスクリットのビューハvyūhaの漢訳語で,〈飾る〉という意味である。荘厳は厳飾(ごんしよく)ともいい,それが仏法によるものであって,一般世俗の装飾とは異なることを示す宗教的呼称といえよう。仏教寺院の荘厳は象徴的図文に満ちあふれているが,ことに密教では秘奥の原理を表現する曼荼羅(まんだら)があり,それにも諸尊像の代りに,サンスクリットの,いわゆる梵字(ぼんじ)1字ずつの象徴であらわした種子(しゆじ)曼荼羅や,諸尊の標識としての各種の法具を配した三昧耶(さまや)曼荼羅などが,修法(しゆほう)の本尊として安置された。前者は言葉すなわち説法,後者は仏の内密(ないみつ)の意志を意味している。
文様の〈様〉という言葉は,中国の唐時代に,形,型,手本を意味する用語として普及していた。そのことは,平安初期の入唐僧,たとえば最澄の請来目録に〈三十七尊様〉1巻があり,円珍の請来本に〈胎蔵旧図様〉があったことから知られる。これらは,仏画製作の手本となった白描(はくびよう)の図像であった。《源氏物語》〈帚木(ははきぎ)〉の巻に〈人の調度の,かざりとする,定まれる“やう”あるものを〉とあるのは,その〈やまとことば〉への転用といってよい。それは,唐様(からよう)に対する和様(わよう)という言葉が後に生まれる経過を物語っている。したがって,文様という言葉には,〈型〉という意味だけでなく,様式の概念もふくまれるわけである。
文様は大別すると,写実的なものと抽象的なものとに分けられ,後者が先に発生したとする説が有力である。また自然の原形に即した写生的な文様も,しだいに抽象化されて,いわゆる幾何学的様式の文様となることもあり,それが再び生き生きとした写実的な姿にもどることもある。ただしそれも部分的に自然の原形を応用した形式になるだけで全体として現実的な形態のものになるとは限らない。文様を芸術学の様式史の対象としてはじめてその研究方法を基礎づけたのは,ウィーン学派のA.リーグルである。彼は植物文様のパルメット唐草を中心として分析と構成の文法を書きのこした。それが《様式論--文様史の根本問題》(1893。邦訳名《美術様式論》)である。リーグルは,ロータス花文を正面形(ロゼット),側面形,半側面形に分類し,さらに側面,半側面形では渦巻形の萼(がく),地間充塡(じゆうてん)の栓形(せんけい),葉状扇形花弁などの抽象的形式に分析して,その組合せによる花形の展開を述べている。しかしこの場合,〈萼〉〈花弁〉といっても,これはあくまで文様の構成を解説する形式語であることに注意しなければならない。同様にパルメット形になった扇形モティーフの場合,花弁は葉形とみられるようにもなるし,ついにはそれはアカンサス葉に変容するが,これらの各単位はすべて現実の植物から離れた抽象的モティーフである。つぎに文様の構成は,まず周囲の空間から孤立した単独モティーフの文様があり,つぎに各モティーフを帯状もしくは平面状に連続して配列する。その組合せ方によって異なった文様が生まれるが,その方法には大別して対置法,並置法,地間充塡法(異なった二つのモティーフの間に別のモティーフを一つはさんで連続させる),主導的モティーフと従属的モティーフとを区別して配列する法がある。平面的な文様は,これらの組合せ方のほかに,多方向に向かって,各モティーフを無限に連続して配置することになる。イスラムの壁面装飾や絨毯(じゆうたん)におけるアラベスク文様の幻想的な展開は,その典型的な作例といってよい。
リーグルは,文様の動因を材質や技術にも関係させてはいるが,むしろその様式的根源は〈芸術意欲Kunstwollen〉にあることを提唱した最初の人である。装飾文様の様式は,その時代,民族によって変遷してきた。リーグルの弟子W.ウォリンガーが,〈装飾の本質は,その作品に,一つの民族の芸術意欲が,もっとも純粋に,もっともはっきりと表現されている点にある〉(《抽象と感情移入》1908)と述べているように,文様はそれぞれの時代や地方様式を最も端的に読みとりうるものとして,重要視されなくてはならない。それは単に彫刻,絵画,建築などに従属するものではないのである。
文様はそのモティーフの種類によって大別すると,幾何学文,動物文,植物文,人物文,自然現象に関するもの(天象の日月星辰文,雲文,水波文,火焰文,山岳文など),文字文などがあげられる。さらにこれらのいくつかを組み合わせた狩猟文や風景文などもある。以下ではこの分類にしたがって,それぞれの文様のモティーフや伝播について述べる。
最も純粋に抽象的な文様が幾何学文である。これには意味のない純粋な幾何学的図形と,なにかを抽象化して,ときには象徴的な意味をもつものとがある。図形をつくる線の性質によって分類すると,直線と曲線,両者を混合する複合形式の三つがある。直線では鍵形モティーフの万字文,万字崩し文,雷(らい)文,方形モティーフの十文字,市松文,菱形文,三角形モティーフの鋸歯(きよし)文などがある。曲線では円文,その一部としての弧形を連ねる花文,稜(りよう)文,円形を連ねる連珠文,そのほか渦巻文,その一部としてのC字形,S字形などからなる雷文もある。なお両者の複合的モティーフとして直弧(ちよつこ)文,題湊(だいそう)文(木目の年輪を抽象化したもの)などがあり,亀甲文や巴(ともえ)文もこれに属する。
現実的なものと空想的なものがある。鳥獣にも孔雀(くじやく),鴛鴦(おしどり),獅子,羊などのように,象徴的な意味をもつものもある。空想的な鳥獣では中国の鳳凰(ほうおう),イラン起源の花喰鳥(はなくいどり),インドの迦陵頻伽(かりようびんが)などの霊鳥,西アジアの有翼獅子やペガソス(天馬),中国の竜などの霊獣が有名である。空想的な鳥獣には,ウォリンガーがいうように,異なった動物から抽象された多くのモティーフを無造作に統合したものが少なくない。西方ではギリシアのグリフォン,東方では中国の竜や辟邪(へきじや)と呼ばれるものがこれである。辟邪は魔除けの意味であるが,有角の天馬は麒麟(きりん),一角獣の角端(かくたん),白沢(はくたく)などが瑞獣として尊ばれた。また霊獣の頭だけをモティーフとする獣面文には,西方の獅子やゴルゴン,東方の饕餮(とうてつ)文があり,鬼面もその一つで鬼瓦などに用いられる。
一群の鳥獣を組み合わせて象徴的意味をもたせたものに,中国の四神と十二支がある。そのほか,猛禽や猛獣が弱い動物を襲う動物闘争文と呼ばれるものがある。通常は獅子,鷲(わし),グリフォンが牛,羊,鹿,馬などを襲うが,なかには両者がたわむれている雰囲気のものもある。このモティーフは権力や季節の交代を示すという。このほかに,聖樹あるいは瑞草を中心として,紋章風に各種の鳥獣を左右から向い合せに配したモティーフがある。これは古代西アジアから日本の正倉院の纈(きようけち)屛風にまで東伝した瑞祥(ずいしよう)文である。
樹木と草花があり,これにも現実的なものと空想的なものがある。現実的な樹木は,それぞれの地域の生活に密着したものが用いられるのは当然で,西アジアのナツメヤシ(棗椰子),インドの菩提樹,東アジアの松はその代表といえよう。日本では桜や梅などの花樹が愛用されてきた。草花文の種類はおびただしく,単独モティーフの場合と他の文様の点景として用いられる場合とがある。西洋ではユリ,東洋ではインドの蓮華,中国の牡丹,菊,蘭,日本ではこれらに加えて秋草,燕子花(かきつばた)などが愛用された。これらは説話,故事,文学などに依拠して発展したものも多い。
空想的植物文の代表は唐草文である。なかでも,前述したパルメットとアカンサスの波状唐草はその代表である。これは波状の茎の山と谷に交互に葉形を置くのが基準形で,エジプトに発生してギリシアで完成し,ローマより世界各地に伝播した。中国へは仏教美術の東漸にともなって南北朝時代に移植された。とくに流行したのが,いわゆる半パルメットの波状唐草,並列唐草,輪つなぎ唐草で,唐朝では雲文(唐草)とも融合した抽象的植物文が生まれ,日本へも奈良時代に伝来した。一方,イランで神聖視されていたブドウやザクロなどの瑞果(ずいか)文も,半パルメットや自然葉の波状唐草にとり入れられて東伝し,中国や日本で瑞祥文として流行した。いずれも多産豊穣の象徴と考えられていた。また葡萄唐草は,西洋の中世キリスト教美術に象徴的図文として愛用された。エジプトやインドの蓮華はいわゆるロータス花として発展し,ロゼット円花文は中国で独自の展開をし唐花文になった。唐朝では,以上のすべての空想的植物文に加えて,牡丹花の現実的な形態を濃厚にとり入れて,いわゆる宝相華(ほうそうげ)文と呼ばれる豊麗な花唐草の一群を開花させた。ただし,〈宝相華〉という名称は宋朝以後につけられたものである。空想的な樹木文様として代表的なものは,いわゆる〈聖樹〉で,古代西アジアの図式的な生命の樹から,現実的なナツメヤシやブドウの樹へと発展し,イスラム時代にはまた空想的なアラベスク樹にもどっていった。またインドの菩提樹は仏像の背後に配されたばかりでなく,さらにイラン系のブドウの樹とも融合し,中国の唐朝にとり入れられて染織文様として流行した。
古代エジプト,ギリシアなどで,戦士や婦人像が文様化されたが,こうした普通の人物文のほかに,人物をかたどって神や精霊が文様化されることがより多かった。動物との混合形として,ギリシアのスフィンクスやケンタウロスなどがイスラム時代まで行われ,いずれも精霊と考えられていた。また空中を飛行する人物というモティーフは,エジプトや西アジアに有翼の精霊としてはじまり,中央アジアまで東伝した。一方,インドでは領布(ひれ)をひるがえし,手足を泳ぐように動かして飛ぶ飛天が誕生し,仏教美術とともに東伝し,西域では西アジア系の有翼像との融合もみられた。中国では,すでに漢代以来,神仙世界の神人が翼をつけて飛ぶ姿をみせていたが,南北朝時代に西方から入った飛天を採用し,雲中を飛ぶ姿に変容されてゆき,唐朝には天衣をひるがえして飛ぶ優雅な天女(人)の姿が完成した。
天空に属する文様のうちで,日月星辰文には,中国の三足烏(さんぞくのからす)をあらわす日輪と,蟇蛙(ひきがえる)や兎を配した月輪,星宿では七曜,九曜などが愛用された。雲文は中国に発生した独自の文様で,純粋な渦巻形モティーフのものと,殷・周以来の動物文に由来する虺竜文(きりゆうもん)系のモティーフのものとがある。単独の雲気文は,霊芝雲(れいしぐも)や屈輪(ぐり)風な雲文の形式に変容してゆく一方,いわゆる雲唐草は抽象性を高度に発揮し,日本や朝鮮に伝えられた。なお,インドにも雲文風な波形唐草が流行していた。水波文は,流動的な曲線が主となり,これに渦巻形のモティーフが加えられることが多い。青海波(せいがいは)のような図式的なものもあるが,光琳模様にみられるような波頭を誇張した装飾的な美しい水波文もあらわれた。火焰文も古くから各地でみられるが,西アジアの聖火信仰から生まれた文様はやがて神仏の光背にとり入れられ,変形をくりかえしながら展開した。これにも純粋な火焰形から虺竜文系のモティーフと融合したものなどがある。山岳文では西アジアの三角形を交互に積み上げる形式が古い。中国でも虺竜文系の流雲文と変わらない波状山岳文やテーブル状あるいは材木を積み重ねた形式のものなどがあったが,西方モティーフと結合して,南北朝以後,三山(さんざん)形式の神仙山岳文に発展する。なおインドや西洋の中世美術にも,抽象的山岳文がみられる。
動物に人物,ときに山岳文を加えた狩猟文にも,絵画(装飾)的なものと権力を象徴したものとがある。狩人には徒歩,騎馬,馬車の3種があり,獲物では野生のもの,とくに獅子のモティーフが愛用された(アニマル・スタイル)。
動植物に水波・山岳文等を組み合わせた,どちらかといえば絵画的な文様である。日本では平安時代から江戸時代にかけて,蒔絵(まきえ)の調度品や経巻の見返し,能衣装,小袖,陶器の意匠などに愛用されてきた。いずれも,自然景を文様化したものであるが,大海のきびしさをあらわした荒波のなかに,鯱(しやち)や大亀,水馬などを配した形式のもの,沢千鳥(さわちどり),菊水,松竹梅といったモティーフの組合せに文学的あるいは瑞祥的意味をもたせた並置形式のものなど,多彩である。そのほか,和歌や漢詩などの文字を装飾風に絵柄にまじえた〈葦手(あしで)〉絵と呼ばれる文学的文様も,独特の工芸意匠として注目される。
西洋では,アルファベットの文字を葉や花,小枝などで飾った花文字が,初期キリスト教時代以降発達した。主として聖書の表紙や文章の頭文字に行われた(写本画)。西アジアでは,イスラム時代にアラビア文字の装飾書体が発達した。建築のタイルや陶器などにコーランの文句を入れ,文字の間に唐草文を加えるものから,しだいに装飾化を強めてアラベスク文様化し,ついには文字本来の機能を超えた芸術的な倣文字(ほうもじ)文となっていった。中国や朝鮮でも,〈壽〉などの吉祥文字を図案化することが行われた。
→紋章
執筆者:林 良一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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