雲谷村(読み)うのやむら

日本歴史地名大系 「雲谷村」の解説

雲谷村
うのやむら

[現在地名]豊橋市雲谷町

鎌倉街道に沿う。鎌倉街道は古宿ふるじゆく(現豊川市)から豊川を渡り、忠興ただこう多米ため岩崎いわさき・雲谷を通って、遠江国橋本はしもとに至ったと伝承されている。中原なかはら村の北方約二キロに位置し、赤石あかいし山脈山懐の村。

仁治三年(一二四二)の和田権僧正覚忠安堵状(普門寺蔵)によると、坂本さかもと岩崎とともに普門ふもん寺梧岡院の領地として「雲谷」の名がみえる。

雲谷村
もやむら

[現在地名]青森市雲谷

横内よこうち村の南方八甲田はつこうだ山麓の純山村。貞享四年(一六八七)検地帳に畑六町五反七畝二五歩、畑屋敷合せて八町六反二三歩、村高三六・八二石とあり、田はまったく記されない。ほかに「末々畑可致開発場所」として畑地一二〇町九反五畝一三歩の広い未開墾地が記される。元禄三年(一六九〇)には浦町組に属し、村位は下である(平山日記)。年代ははっきりしないが、二代藩主津軽信枚の代に雲谷に五牧の一つである藩牧が置かれた(津軽歴代記類)。貞享四年の検地帳に「牧 八百九拾七町一反六畝二拾八歩 十五箇所」とあるのがこれであろう。元禄九年に雲谷牧に牧雑駄一七頭、自分雑駄二三頭、父馬一頭がいたという(弘前市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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