服部倉次郎(読み)ハットリ クラジロウ

20世紀日本人名事典 「服部倉次郎」の解説

服部 倉次郎
ハットリ クラジロウ

明治・大正期の養魚家



生年
嘉永6年10月10日(1853年)

没年
大正9(1920)年5月5日

出生地
武蔵国葛飾郡千田新田(東京都江東区)

経歴
漁師の家に生まれ、父の死後家業を継いで川魚の捕獲養殖従事。慶応2年“スッポン”の養殖をはじめて試み、明治12年孵化に成功する。以後、“ウナギ”“ボラ”の養殖にも取り組み、17年深川養魚、30年洲崎養魚などの会社を設立。32年愛知県水産試験場嘱託となり、浜名湖畔を養殖の適地として着目し、同年静岡県舞阪町吹上にスッポンの養池7町歩を設置した。以後、浜名湖畔にウナギなどの養池を拡大し、養殖業発展の基礎を築いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の服部倉次郎の言及

【養殖】より

…明治になって始められたものにウナギの養殖がある。1879年に服部倉次郎が東京深川に2町歩(2ha)の池を造って経営を始めたという。ウナギ養殖が産業として確立し始めたのは明治末期から大正初期にかけてであり,静岡県,愛知県,三重県の3県が主産地となった。…

※「服部倉次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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