木食五行(読み)もくじきごぎょう

精選版 日本国語大辞典 「木食五行」の意味・読み・例文・類語

もくじき‐ごぎょう‥ゴギャウ【木食五行】

  1. 江戸時代真言宗の僧。甲斐国山梨県)の人。二二歳で出家し、四五歳のときに木食戒を受けて生涯その戒を守った。日本回国・千体仏造像を発願して諸国を遊行し、肉塊の盛り上がりを強調した特異な木彫仏を残した。享保三~文化七年(一七一八‐一八一〇

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朝日日本歴史人物事典 「木食五行」の解説

木食五行

没年:文化7.6.5(1810.7.6)
生年:享保3(1718)
江戸後期の僧,仏師。木食上人,行道,明満ともいう。生涯を旅にすごし,木食仏,微笑仏と呼ばれる人間味あふれる神仏像を数多く残した。その像は,柳宗悦の民芸運動で発見されて以来,広く知られるようになった。甲斐国丸畑(山梨県下部町古関丸畑)の名主,伊藤六兵衛の次男として生まれ,14歳で江戸に出奔。22歳のとき,相模国(神奈川県)大山不動尊に参籠し,古義真言宗の大徳の教えで仏門に入る。45歳で常陸国(茨城県)羅漢寺の観海から木食戒を受け,名も「行道」と改め,「三界無庵無仏」と肩書きした。安永2(1773)年,日本回国の大願をたて,相模国伊勢原を後に諸国行脚の旅に出る。以後,関東,東北,北海道,信越,佐渡,北陸,山陽,山陰,四国,九州と日本全国を遊行し続けた。仏像を彫りだすのは,61歳の同7年北海道の江差,松前へ渡ったころで,現在,北海道で32体の初期木食仏が確認されている。寛政5(1793)年から「天一自在法門 木食五行菩薩」と名を改める。80歳のころより「千躰仏」を彫ることを志し,仏像の表情も微笑をみせるようになる。同12年,日本全国を回る大願が成就し,故郷丸畑に帰る。翌年,丸畑に四国堂を建立し,四国八十八カ所を象徴する88体の仏像を彫り上げると,再び回国の旅に出た。89歳で霊夢をみて「神明光明 明満仙人」と名乗り,93歳で入寂した。旅から旅への漂泊の人生をおくった木食が最後にたどりついたのは「光」と「笑」の宗教哲学だった。<参考文献>柳宗悦「木喰上人」(『柳宗悦選集』9巻)

(内藤正敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木食五行」の解説

木食五行 もくじき-ごぎょう

行道(ぎょうどう)

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