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甲斐国 かいのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

甲斐国
かいのくに

現在の山梨県東海道の一国。もと甲斐国造が支配。本居宣長は山の峡(かひ)と説いている。国府は現在の笛吹市春日居町,国分寺は同市一宮町。『延喜式』には山梨郡,八代郡,巨麻郡の 3郡がみえ,『和名抄』には郷 31,田 1万2249町余が記録されている。

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百科事典マイペディアの解説

甲斐国【かいのくに】

旧国名。甲州とも。東海道の一国。現在の山梨県。国名は峡(かい)の意という通説があるが,現在は否定的見解が強い。《延喜式》に上国,4郡。中世,源氏の一族武田氏が守護。
→関連項目市河荘郡内騒動甲府[市]中部地方南部郷山梨[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

かいのくに【甲斐国】

現在の山梨県域を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で東海道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からの距離では中国(ちゅうごく)とされた。国府笛吹市御坂(みさか)町、国分寺は同市一宮(いちのみや)町におかれていた。平安時代は御牧(みまき)(朝廷の直轄牧場)、荘園(しょうえん)が多く、源頼信(みなもとのよりのぶ)の子孫が土着して甲斐源氏(げんじ)が勃興(ぼっこう)した。その流れをくむ武田(たけだ)氏が中世を通じて守護として勢力を伸ばし、戦国時代武田信玄(しんげん)のときに全盛を迎えた。関ヶ原の戦い後は徳川氏の領有となり、1724年(享保(きょうほう)9)以降は幕府直轄領となって幕末に至った。1868年(明治1)に府中(ふちゅう)県、市川(いちかわ)県、石和(いさわ)県に分かれたが、のち合併して甲斐府となった。1869年(明治2)に甲府(こうふ)県、1871年(明治4)に山梨県と改称。◇甲州(こうしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

かいのくに【甲斐国】

旧国名。甲州。東海道に属する上国(《延喜式》)。現在の山梨県。
【古代】
 古墳時代の甲斐は,前期には曾根丘陵地帯に銚子塚古墳(中道町)などいくつかの前方後円墳が出現し,後期には分布地域が広がり,姥塚(うばづか)(御坂町),加牟那塚(甲府市)など巨大な横穴式石室を持つ円墳も現れた。これら古墳の築造者で,この地の支配者であった甲斐国造(くにのみやつこ)が,大和の政権に貢上した馬は,“甲斐の黒駒”と呼ばれて名高く,その伝統は平安時代に駒牽(こまびき)の行事となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

甲斐国
かいのくに

山梨県の旧国名。甲州(こうしゅう)。東海道の一国。国名は、周囲を山に囲まれたいわゆる山峡(やまかい)の峡の意に由来するという。成立年代は不明であるが、古くは山梨、八代(やつしろ)、巨麻(巨摩)(こま)、都留(つる)の4郡が設置された。官道として甲斐路は東海道本路の駿河(するが)国(静岡県)横走(よこばしり)駅から分岐して、国境の篭坂(かごさか)峠から御坂(みさか)峠を越えて八代郡にあった国府に達した。名馬の産地で聞こえた甲斐には平安時代、柏前(かしわさき)、真衣野(まきの)、穂坂(ほさか)の三つの御牧(みまき)が置かれて馬を貢上した。荘園(しょうえん)は969年(安和2)の市河荘が初見で、その後各地に展開した荘園を地盤に甲斐源氏が勃興(ぼっこう)する。1029年(長元2)に源頼信(よりのぶ)、ついでその孫新羅(しんら)三郎義光(よしみつ)が甲斐守(かみ)に任ぜられて甲斐源氏の基を開いたといわれるが、甲斐源氏の直接の祖となったのはその子義清で、後を継いだ清光は多くの男子を国内の要地に配した。鎌倉幕府創業期に甲斐源氏の果たした役割は大きく、信義を祖とする武田氏が以後甲斐の守護を世襲する。この間1274年(文永11)日蓮(にちれん)が身延(みのぶ)に入山し久遠寺(くおんじ)をおこした。戦国期、甲斐の領国統一に力を注いだ武田信虎は、1519年(永正16)居館を石和(いさわ)から躑躅ヶ崎(つつじがさき)に移し甲府を開府した。信玄(しんげん)は9か国に及ぶ版図を領して武田氏の全盛時代を現出したが、子勝頼(かつより)の代に1582年(天正10)織田信長に滅ぼされた。徳川家康の領有から一時豊臣(とよとみ)氏の勢力下で羽柴(はしば)秀勝、加藤光泰(みつやす)、浅野長政(ながまさ)・幸長(よしなが)父子が封ぜられたが、関ヶ原の戦い後、再度徳川氏の領するところとなり、江戸時代には国中(くになか)地方は徳川義直(よしなお)や忠長(ただなが)ら家門が受封、あるいは幕府領として推移し、ついで徳川綱重(つなしげ)・綱豊(つなとよ)父子、柳沢吉保(よしやす)・吉里(よしさと)父子が領した。都留郡(郡内領)には鳥居成次(とりいなりつぐ)、秋元泰朝(やすとも)から3代にわたる譜代(ふだい)小藩が設置された。都留郡は1704年(宝永1)から、1724年(享保9)には甲斐一円が幕府直轄領となり、甲府勤番支配と代官支配との下に置かれ、またその後三卿(さんきょう)領も設けられて明治維新に及んだ。特産物として著名なものに郡内織と甲州ブドウがあり、京都への「登せ糸(のぼせいと)」生産やタバコ栽培も盛んであった。交通運輸の要路としては甲州街道と富士川水運があった。江戸後期には甲府に官学として徽典館(きてんかん)が設立され、また幕府の内命に基づいて『甲斐国志』が編纂(へんさん)された。1868~70年(明治1~3)に甲府、市川、石和の3県から甲斐府、甲府県を経て、71年山梨県となった。[飯田文弥]
『磯貝正義・飯田文弥著『山梨県の歴史』(1973・山川出版社)』

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世界大百科事典内の甲斐国の言及

【筋】より

…このように小倉藩では郡と筋がいっしょのものとされるが,筋の呼称は藩主小笠原氏の信州統治時代に由来するといわれる。甲斐国では一国を万力(まんりき)・栗原・大石和(おおいさわ)・小石和・中郡・北山・逸見(へみ)・武川(むかわ)・西郡の9筋と,郡内領・河内(かわうち)領の2領に分けていた。筋という単位は戦国時代に見られ,2領が国人領であったことに由来するので,甲斐の筋は武田氏統治時代から行政単位とされたようである。…

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