日本歴史地名大系 「本間新田」の解説 本間新田ほんましんでん 新潟県:新発田市本間新田[現在地名]新発田市本間新田上・下両羽津(はねづ)村の東に位置し、入会地であった長峰原(ながみねはら)を近世末期に開発してできた新田村である。長峰原は、高知(こうち)山に発する田貝(たがい)川と板山(いたやま)川に挟まれた一六五町五反余の原野で、上・下両羽津・大友(おおとも)・西姫田(にしひめだ)など諸村の入会採草地であった。文化二年(一八〇五)富永(とみなが)(現西蒲原郡吉田町)の医師正順が開発を企て、その子順庵も遺志を継ぎ開発願書を出したが、関係諸村の反対で容易に実現しなかった。ようやく許可されて弘化二年(一八四五)順庵は黒川藩に「上下両羽津地内、字長峯原林」の地代一〇両を払い、七戸一〇人を率いて移住した。翌年用水工事に着手、嘉永二年(一八四九)完成し、関係諸村と用水路分合水についての取決書をかわした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by