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李容翊 りようよく(R)I Yong‐ik

世界大百科事典 第2版の解説

りようよく【李容翊 (R)I Yong‐ik】

1854‐1907
朝鮮,李朝末期の政治家。咸鏡道出身。1882年の壬午軍乱時に閔妃(びんひ)の忠州逃避行を助けて高宗の信任を得,90年代初めにかけて江界府使兼西北鉱務監理など北部朝鮮の要地地方官を歴任した。1888年には在任中の不法誅求の罪で一時期,全羅道智島に流配された。97年典圜(てんえん)局長となり貨幣発行にあたる一方,宮内府の高官として鉄道計画,人参専売,鉱山の事務を管轄下に入れ,皇室財政の拡張を実現した。

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世界大百科事典内の李容翊の言及

【高麗大学校】より

…韓国ソウルにある,民族資本によって設立された私立総合大学。1905年内蔵院卿李容翊(りようしよう)が〈人材を教育しもって国権を復さん〉がために設立した普成学校に始まる。10年孫秉熙(そんへいき)が引き継ぎ15年普成法律商業学校,21年普成専門学校となり法・商科を置く。…

※「李容翊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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