語句の意は宮城内のことで,宮廷とか〈畏(かしこ)き辺(あた)り〉とかと同じ意味に使われる。しかし,歴史的には府中(国家の政治)に対する語として問題とされる。すなわち,近代的な立憲君主制の原則としては,宮中(君主の宮廷事務)と府中(国政)とは分離し,国政についての責任機関が確立していなければならない。
ところが,明治初年以降の太政官制では,天皇親政の名のもとに,太政大臣,左大臣,右大臣,参議,卿などは,すべて天皇の家臣(朝臣)としての色彩が強く,実際に公家出身者がその職につくことも多かったから,宮廷事務と国政事務との区別は明確でなかった。そして,宮廷事務を担当する宮内卿は,太政大臣のもとで国政担当の卿と同列に扱われていた。また1879年に伊藤博文らは,宮中・府中の別を乱すという理由で,77年より宮内省に設けられた天皇側近の職である侍補等を廃止したり,あるいは参議が宮内卿を兼任しないという原則が主張されたりした。85年の太政官制の廃止,内閣制の創設は,制度的に宮中・府中の別を明確にし,宮内大臣は内閣の外にあるものとされた。しかし,同時に設置された宮中官としての内大臣は,天皇を常時輔弼(ほひつ)する立場から,ときに国政に関与することもあり,1912年の第3次桂太郎内閣成立のように,それまで内大臣兼侍従長であった桂が組閣するという例もあった。そして,1937年,元老西園寺公望が天皇へ内閣の首班奏請をやめたあとは,内大臣が元老に代わって首班の人選について天皇の諮問にこたえるなど,国政上の重要な役割を果たし,実質的には必ずしも宮中・府中の別は確立していないという面があった。近代天皇制のひとつの特色といえよう。
執筆者:田中 彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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