村松恒一郎(読み)ムラマツ ツネイチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村松恒一郎」の解説

村松 恒一郎
ムラマツ ツネイチロウ


肩書
衆院議員(立憲民政党)

生年月日
元治1年4月(1864年)

出身地
伊予国(愛媛県)

学歴
同人社〔明治17年〕卒

経歴
高野山大学英学教師、東京朝日新聞などの記者を経て、明治39年政治雑誌「大国民」を発刊し、また日刊大東通信社社長となる。41年衆院議員となり当選5回。社会事業調査会委員、立憲民政党総務を務めた。

没年月日
昭和15年6月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む