東中間村(読み)ひぎやなはまむら

日本歴史地名大系 「東中間村」の解説

東中間村
ひぎやなはまむら

[現在地名]住用村東仲間(ひがしなかま)

西中間(にしなはま)村の北東に位置し、南西のタカバチ山(四八五・四メートル)下に三太郎(さんたろう)峠がある。北部を川内(かわうち)川が流れる。「南島雑話」によれば、須垂(すたる)方の東仲間村(東中間村とも記す)から西中間村へ越える坂は難所であるという。住用(すむゆう)間切のうち。享保年間(一七一六―三六)龍郷(たじご)方(現龍郷町)の田畑佐文仁によって干潟の干拓が行われたとされる(奄美大島史)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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