日本歴史地名大系 「東土川村」の解説 東土川村ひがしつちかわむら 京都市:南区東土川村[現在地名]南区久世(くぜ)東土川町大藪村の南方に位置し、西国街道が西に接して南下している。東南は久我(こが)村(現伏見区)、西は鶏冠井(かえで)・西土川(にしつちかわ)村(現向日市)。天正一三年(一五八五)東土川三〇〇石が豊臣秀吉から勧修寺家に安堵された(勧修寺家文書)。<資料は省略されています>勧修寺家は江戸時代も東土川の大半を領し、勧修寺家文書(京都大学国史研究室所蔵)に、東土川村関係の宗門改状・鉄砲改帳等が残る。元禄一一年(一六九八)四月二六日の勧修寺大納言宛土川村々役請書(同文書)によれば村の総高は四一九石八斗五升三合、知行内訳は勧修寺大納言家領四〇八石四斗五升三合、東寺町浄教寺領六石、ほかは禁裏役人土山淡路領である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by