杷木庄(読み)はきのしよう

日本歴史地名大系 「杷木庄」の解説

杷木庄
はきのしよう

平安期から鎌倉期にかけてみえる庄園。古代上座かみつあさくら把伎はき(和名抄)の郷名を継承し、現在の杷木町付近に所在したと考えられるが、庄域は不明。延喜五年観世音寺資財帳によると、大宝三年(七〇三)一〇月二〇日に「把伎野白」の薗地が観世音寺(現太宰府市)に施入されたという。なお延喜五年(九〇五)の段階で「把ママ庄」の記載がみえる。永延三年(九八九)一〇月二五日の大宰府牒案(東大寺成巻文書/平安遺文二)では「把岐庄」の田地子米を同寺金堂の仁王長講仏僧供等の費用に充てることが定められている。しかし同四年三月一三日の大宰府牒案(同上)によれば、当庄の庄司明延が供料を弁済しなかったため罷免され、永祚二年(九九〇)七月当庄は長講僧らの進退するところとなった(同月二七日「観世音寺長講僧等解案」同上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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